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野球評論家 大島 康徳 さん死去

2021年(令和3年)6月30日 死去 享年70歳

大島康徳写真 

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野球評論家 大島 康徳 さん死去

プロ野球の中日などで強打者として活躍し、日本ハムの監督も務めた 大島 康徳(おおしま やすのり)さんが 2021年(令和3年)6月30日午前、大腸がんのため東京都内の病院で死去した。70歳だった。

大分県中津市出身。1968年(昭和43年)ドラフト3位で中日に入団。1983年に36本塁打で本塁打王を獲得するなど2度のリーグ優勝に貢献した。1994年に現役引退。通算2638試合で2204安打、382本塁打。2000年から3年間日本ハム監督を務めた。「ステージ4の大腸がんになり2016年10月に手術を受けていたこと、肝臓に転移していること」を発表していた。

人物 / 略歴

大島 康徳(おおしま やすのり、1950年(昭和25年)10月16日 ~ 2021年6月30日)

大分県中津市出身。

プロ野球選手(内野手、外野手)、監督、野球解説者。

◆ 略 歴

大分県立中津工業高等学校卒業(2011年に閉校)。

野球部ではエース、四番打者として活躍する。

★ 現役時代

プロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズに3位指名され入団。

投手として入団したが、当時の監督だった水原茂が素質を見抜いて打者転向させた。

大島を発掘した本多は彼を将来の主軸と見込み、1年目から四番打者として起用する。

二軍暮らしが続いたが入団3年目の1971年6月に一軍初出場。

同年は一塁手、中堅手として64試合に先発出場を果たす。

またジュニアオールスターゲームではウエスタン・リーグの主砲としてMVPを獲得した。

1972年は開幕から中堅手、右翼手として起用され、規定打席(29位、打率.230)にも到達。

1974年には三塁手、中堅手、一塁手を兼ねチームのリーグ優勝に貢献。

1977年には三塁手の定位置を獲得し、打率.333(4位)、27本塁打の好成績を残す。

1979年には全130試合で四番打者に座り、30本の大台を越える36本塁打、打率.317(3位)を記録。

1983年に36本塁打を放ち、山本浩二と並んで本塁打王に輝く。

1987年オフ、田中富生・大宮龍男との交換で日本ハムファイターズへ曽田康二とともに移籍。

すでに37歳であったが、日本ハムでは一塁手としての起用が多く、チームの得点力不足もあって主軸として活躍。

1990年8月21日の対オリックス・ブレーブス戦で佐藤義則からタイムリー2塁打を打ち2000安打を達成。

1994年9月28日のロッテ戦を引退試合に選び、伊良部秀輝から2安打し、胴上げされた。

当時は44歳で45歳の野村克也に次ぐ長寿選手と言われていた。

★ 引退後

1995年から1999年までNHK野球解説者、東京中日スポーツ野球評論家。

2000年から2002年まで日本ハムの監督を務めた。

2003年からは再びNHK野球解説者・東京中日スポーツ野球評論家として活躍。

2017年2月7日、自身の公式ブログにて「2016年10月にステージ4の大腸がんになり手術を受けていたこと、肝臓に転移していること」を発表した。

なお、治療はするものの重く受け止めず、今まで通りの生活をしたいと述べている。

2021年6月30日、大腸がんのため東京都内の病院で死去。70歳没。

特記事項

1974年の最終戦は長嶋茂雄の引退試合で、中日の選手代表として花束を渡している。

死去が公表された7月5日には、大島が春頃に記した言葉が妻によってブログに掲載された。

◆ タイトル

◇ 本塁打王:1回 (1983年)
◇ 最多安打:1回 (1979年)

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