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プロレスラー  ジャンボ鶴田 さん死去

2000年(平成12年)5月13日 死去 享年49歳

ジャンボ鶴田写真  

プロレスラー  ジャンボ鶴田 さん死去

元全日本プロレスのエース、ジャンボ鶴田(ジャンボ つるた)さんが2000年(平成12年)5月13日午後5時(現地時間午後4時)、肝臓ガンのためフィリピンの病院で死去した。49歳だった。

1980年代、トップレスラーとして活躍したがB型肝炎を発症したことにより第一線を退いていた。その後、肝硬変を経て肝臓癌へ転化し 重篤な状態へ進行していた。海外での脳死肝移植に望みを賭け、同日、移植手術中に大量出血を起こしてショック症状に陥り死去した。

人物 / 略歴

ジャンボ 鶴田(ジャンボ つるた、1951年3月25日 ~ 2000年5月13日)

山梨県東山梨郡牧丘町(現山梨市)出身。本名は鶴田友美(つるた ともみ)。プロレスラー。

ニックネームは「若大将」のち「怪物」。三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初のAWA世界ヘビー級王者(第30代)。

オリンピック出場時の選手名簿には、身長194cm、体重112kgとある。血液型O型。

◆ 経 歴

山梨県立日川高等学校を経て、中央大学を卒業。

広大なブドウ農園を営む家に生まれる。

中央大学法学部政治学科4年次に名門レスリング部へ入部した。

レスリング日本代表にも選ばれ、当初の目的通り1972年のミュンヘンオリンピックに出場する(グレコローマンスタイル100kg以上級)。

レスリングでの実績により、ジャイアント馬場からプロレスにスカウトされる。1972年9月16日、父親の死をきっかけにプロ入りを決意した。

◆ 全日本プロレス入団

大学在籍時の1972年10月31日、全日本プロレス(以下、全日)へ入団表明。デビュー当初のリングネームは本名の鶴田友美。ニックネームは「若大将」。

1973年3月24日、テキサス州アマリロにてエル・タピア戦でプロデビュー。同年5月20日には、NWA世界ヘビー級王座に挑戦するという異例の大抜擢を受けるなど、当地で約150戦を消化。

凱旋帰国後の同年10月6日、後楽園ホールにおけるムース・モロウスキー戦で国内デビュー。

20代の中頃までは若い女性の親衛隊もいたほどの人気であった。

ファンからの公募により、1973年10月27日にリングネームをジャンボ鶴田と改名。

◆ 天龍同盟、超世代軍との闘い

鶴田が怪物レスラー、完全無欠のエースとしての評価を高めたのは、1987年に「天龍同盟」を結成した天龍源一郎との一連の抗争、そして天龍離脱後の超世代軍との戦いであった。

1988年6月には、インターナショナル・タッグ王座とPWF世界タッグ王座を統一、初代世界タッグ王者に就いた。

1989年4月には、シングルタイトルであるインター・PWF・UNの三冠を統一し、初代三冠ヘビー級王者となる。

これらの実力が認められた結果、ジャンボ鶴田の人気は不動のものとなった。全日のエースから日本プロレス界のエースと呼ばれるにふさわしい存在になっていた。

1991年は7年ぶりにプロレス大賞のMVPを三度目の受賞。

◆ 1992年以降:教授レスラーへの夢

1992年にB型肝炎を発症し長期入院を余儀なくされた。

リングへの復帰後も再発の危険性があるために極端に負担のかかる第一線に立つことはなくなった。

1994年10月に筑波大学大学院体育研究科コーチ学専攻に合格し、遂には非常勤講師ながら大学教員となった。並行して大会場でのスポット出場という形で現役プロレスラーを継続する。

そして1999年、馬場が死去した直後に引退・全日本取締役辞任会見をキャピトル東急ホテルで行う。

◆ 引退 / 病との闘い

1999年3月6日に日本武道館にて引退セレモニーが行われ、スポーツ生理学の客員教授としてオレゴン州ポートランド州立大学に赴任することを明らかにした。だが、この前後よりB型肝炎は肝硬変を経て肝臓癌へ転化かつ重篤な状態へ進行していた。鶴田は第三者らの進言もあり肝臓移植を受けることを決断。

日本では親族間の生体肝移植しか認められておらず、海外での脳死肝移植に望みを賭けた。

オーストラリアで臓器提供を待っていたところ、2000年春になりフィリピン・マニラでドナー出現の報を聞き、かの地へ急行し手術を受けた。

ところが肝臓移植手術中に大量出血を起こしてショック症状に陥る事態が発生、治療の甲斐なく5月13日17時(現地時間では16時)に死去した。49歳没。

特記事項

B型肝炎を発症したことにより第一線を退き、その後、桐蔭横浜大学、中央大学、慶應義塾大学で非常勤講師を勤めるなど教育者としても活躍した。

◆ ジャンボ 鶴田 / 主なタイトル歴

◇ 三冠ヘビー級王座 - 3度戴冠
◇ AWA世界ヘビー級王座
◇ インターナショナル・ヘビー級王座 - 3度戴冠
◇ UNヘビー級王座 - 5度戴冠
◇ インターナショナル・タッグ王座 - パートナーはジャイアント馬場、天龍源一郎、谷津嘉章。
◇ PWF世界タッグ王座 - パートナーは二代目タイガーマスク、谷津嘉章。
◇ 世界タッグ王座 - 7度戴冠。パートナーは谷津嘉章(5回)、ザ・グレート・カブキ、田上明(各1回)
◇ NWA認定デトロイトタッグ王座 - パートナーはジャイアント馬場。19

◆ ジャンボ 鶴田 / 著 作

◇ 『リングより愛をこめて:ジャンボ鶴田のファッショナブル・トーク』(講談社, 1981年) ISBN 4-06-127769-3
◇ 『ジャンボ鶴田の受験は格闘技だ』(ごま書房, 1996年) ISBN 4-341-01747-0
◇ 『ジャンボ鶴田のナチュラルパワー強化バイブル』(ナツメ社, 1999年) ISBN 4-8163-2533-6

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