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新聞記者、ジャーナリスト  黒田 清 さん死去

2000年(平成12年)7月23日 死去 享年69歳

黒田清写真  黒田清訃報

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新聞記者、ジャーナリスト  黒田 清 さん死去

ジャーナリストの 黒田 清(くろだ きよし)さんが2000年(平成12年)7月23日未明、すい臓がんのため大阪府摂津市内の病院で死亡した。69歳だった。

1952年(昭和27年)、読売新聞大阪本社入社。社会部長当時、彼の取材チームは「黒田軍団」と呼ばれ大阪府警の警官汚職など数々のスクープを連発し反響を呼んだ。著書「警官汚職」は日本ノンフィクション賞、「戦争」では菊池寛賞を受賞した。1997年(平成9年)、すい臓がんを発病し摘出手術を受けていた。

人物 / 略歴

黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 ~ 2000年7月23日)

大阪府出身。 新聞記者、ジャーナリスト。

◆ 略 歴

旧制大阪府立高津中学校卒業、旧制第四高等学校、京都大学経済学部卒業。

1952年大阪読売新聞社(現・読売新聞大阪本社)入社。社会畑を歩み、1976年に社会部長就任した。

以後、この社会部チームの記者は「黒田軍団」として注目を集め、黒田自身だけでなく、軍団の一員だった大谷昭宏らがジャーナリストとして活躍し注目を集める。

1979年1月におきた三菱銀行人質事件の際、新聞紙上に事件当事者のみでなく、取材する記者側の動きもドキュメントとして報道。 それは事件が膠着状態で記者から上ってきたドキュメントの原稿が数行しかないのを見た黒田が「ならば、自分たちの動きを書け!」と叱咤したのがきっかけと言われており、新しい報道の手法として反響を呼んだ。

革新・左派色が強いと見られ、渡邉恒雄の意を体した上司に干されるようになった。その結果、1987年退社。「黒田軍団」も内部で「戦犯」視され、散り散りになった。

その後は「黒田ジャーナル」を主宰するフリージャーナリストとして、窓友新聞発行の他、テレビ、ラジオ、新聞などで活躍。

日刊スポーツ・大阪本社版に連載「黒田清のぶっちゃけ・ジャーナル(後に「にゅーすらいだー」と改題)」を、しんぶん赤旗日曜版に連載「半共ジャーナル」を執筆した。

2000年(平成12年)7月23日未明、すい臓がんのため大阪府摂津市内の病院で死亡した。享年69歳。これに伴い黒田ジャーナルは解散。

特記事項

著書「警官汚職」(1984年)は 日本ノンフィクション賞。1985年の「戦争」では菊池寛賞をそれぞれ獲得した。

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