追悼の森 =猫田勝敏さん死去=

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元全日本バレーボール選手  猫田勝敏 さん死去

1983年(昭和58年)9月4日 死去 享年39歳

猫田勝敏写真  

元全日本バレーボール選手  猫田勝敏 さん死去

元全日本バレーボールチームのセッターで、ミュンヘンオリンピック金メダリストの 猫田 勝敏(ねこだ かつとし)さんが1983年9月4日、胃がんのため入院中の病院で死去した。39歳だった。

東京オリンピックからモントリオールオリンピックまで4大会連続でオリンピック出場を果たし、金、銀、銅の3個のメダルを獲得、世界一のセッターと称された。1982年(昭和57年)12月に胃の全摘出手術を受け闘病生活を送っていた。

人物 / 略歴

猫田 勝敏(ねこだ かつとし、1944年2月1日 ~ 1983年9月4日

広島県広島市安佐南区安古市町(旧:安佐郡安古市町)出身。元男子バレーボール選手。

◆ 略 歴

広島市立古市小学校時に、バレーボールを始める。

広島市立安佐中学校時代では、9人制でセンターを務めていた。

崇徳高校に進み、当時の監督の稲葉正文に、セッターとしての素質を見出される。

1959年(昭和34年)1年生の時に、国体高校男子で優勝を果たす。

1962年(昭和37年)、高校卒業後、地元の日本専売公社広島地方局(現日本たばこ産業広島支店)に入社。

専売広島男子排球部(現JTサンダーズ)に入部した。

同年12月、18歳で初めて全日本に選出される。

1964年(昭和39年)、20歳で東京オリンピックに出場し、銅メダルを獲得する。これ以降、猫田は全日本の正セッターとして不動の地位を築いていく。

1968年(昭和43年)、再び松平監督の下で、メキシコオリンピックで銀メダルを獲得。

1971年(昭和46年)9月、翌年にミュンヘンオリンピックが迫っていた中、試合中に西本哲雄と接触し右腕複雑骨折をしてしまう。

1972年(昭和47年)6月、オリンピック出場が危ぶまれていたが、約8ヶ月のリハビリ生活の末に、NHK杯で試合に復帰する。オリンピック開幕2ヶ月前だった。これには、東京体育館に詰めかけた観客から大きな拍手が起こった。

同年8月、ミュンヘンオリンピックで念願の金メダルを獲得、日本バレーを世界の頂点に導いた。

1976年(昭和51年)、モントリオールオリンピックにも出場し、4位入賞を果たした。日本選手団の旗手も務めた。

1980年(昭和55年)、モスクワオリンピック最終予選を最後に、現役を引退。

直後に専売広島の監督に就任し、日本リーグから采配を振った。

1981年(昭和56年)、胃癌に蝕まれていることが発覚。

1983年9月4日、胃がんのため入院中の病院で死去した。享年39歳。

特記事項

日本バレーボール協会の「バレーボール栄誉選手賞」受賞。

国際バレーボール連盟の「世界バレーボール20世紀の最優秀賞特別賞」受賞。

練習、合宿、遠征、試合の連続で家族を顧みることも出来なかったが、それを思ってか闘病中に「かあちゃん、すまん」という言葉を残した。

幻覚症状の出た死の直前の病床でも、ブロックサインを出し続けたといわれる。最期の言葉は「後1本・・・、後1本・・・」。

◆ 猫田勝敏 / 著書

◇ 『直伝・猫田勝敏の名人芸トス』猫田勝敏 日本文化出版 (1983年8月発行)

◆ 猫田勝敏 / その他関連書籍

◇ 『父さん、お帰りなさい-私の猫田勝敏-』猫田禮子 日本文化出版(1984年1月発行)
◇ 『かあちゃん、すまん』徳丸壮也 講談社(1984年1月発行)
◇ 『猫田は生きている』 小泉志津男 笠倉出版社(1984年1月発行) 1部、2部

◆ A Related Words :
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