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歌舞伎役者、俳優  市川雷蔵 さん死去

1969年(昭和44年)7月17日 死去 享年37歳

市川雷蔵写真  

歌舞伎役者、俳優  市川雷蔵 さん死去

黒の着流し、素足に雪駄、腰の刀は無双正宗、得意の技は円月殺法。ニヒルで孤独の剣士、眠狂四郎を演じた 市川 雷蔵(いちかわ らいぞう)さんが1969年(昭和44年)7月17日、転移による肝臓がんのため死去した。37歳だった。

1968年(昭和43年)6月、「関の弥太っぺ」の撮影中に腸からの出血に見舞われ、検査の結果、直腸癌であることが判明。家族は医師から「半年余りの間に再発する」という宣告を受けていた。

人物 / 略歴

八代目 市川 雷蔵(はちだいめ いちかわ らいぞう、1931年(昭和6年)8月29日 ~ 1969年(昭和44年)7月17日)

京都府京都市に生まれる。歌舞伎役者、俳優。

出生名は亀崎章雄(かめざき あきお)。後に本名を竹内 嘉男(たけうち よしお)、さらに太田 吉哉(おおた よしや)に改名した。

◆ 略 歴

生後6か月のときに三代目市川九團次の養子となり、15歳のとき市川莚蔵を名乗って歌舞伎役者として初舞台を踏む。

1951年(昭和26年)に三代目市川壽海の養子となり八代目市川雷蔵を襲名。1954年(昭和29年)に映画俳優に転身。

1959年(昭和34年)の映画『炎上』での演技が評価され、キネマ旬報主演男優賞受賞、ブルーリボン賞主演男優賞などを受賞。

1960年代には勝新太郎とともに大映の二枚看板(カツライス)として活躍した。

1968年(昭和43年)6月に直腸癌を患っていることがわかり、手術を受けるが肝臓に転移、翌年7月に死去した。

◆ 誕生・三代目市川九團次の養子となる

市川雷蔵は1931年(昭和6年)8月29日、京都府京都市中京区西木屋町神屋町で誕生した。

生後6か月の時に伯父で歌舞伎役者の三代目市川九團次の養子となり、本名を竹内 嘉男と改名した。

◆ 歌舞伎役者となる

1934年、雷蔵は京都から大阪へ移った。1946年、3年生の時に中学校を退学。歌舞伎役者となる道を選んだ。

1946年11月、15歳の時に大阪歌舞伎座で催された東西合同大歌舞伎の『中山七里』の娘おはなで市川 莚蔵を二代目として名乗り初舞台を踏んだ。

三代目市川壽海の養子となる

三代目市川壽海が雷蔵を養子にしたいという意向を持っていることを知る。養子縁組は1951年4月に成立。同年6月には大阪歌舞伎座で雷蔵襲名披露が行われた。

◆ 映画俳優に転身

1951年に壽海の養子となった雷蔵だったが、1954年に大映所属の映画俳優に転身した。

1954年8月25日公開の『花の白虎隊』で映画俳優としてデビューした。

関西歌舞伎の重鎮・市川壽海の子である雷蔵は映画界では貴種として扱われた。

デビュー作の『花の白虎隊』の後5作目の『潮来出島 美男剣法』(1954年12月22日公開)、6作目の『次男坊鴉』(1955年1月29日公開)と立て続けに主役に抜擢した。

デビュー2年目の1955年、雷蔵は『新・平家物語』(1955年9月21日公開)の平清盛役でスターとして注目を集めるようになった。

『新・平家物語』を境に雷蔵は、年間10本以上の映画に出演し休日返上で撮影を行う多忙な日々を送るようになった。

◆ トップスターに

1958年(昭和33年)、市川崑は『炎上』の主役に雷蔵を抜擢した。『炎上』での演技は世間でも高く評価され、キネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン賞男優主演賞などを受賞。雷蔵はトップスターとしての地位を確立した。

1963年(昭和38年)に始まった『眠狂四郎』シリーズは、雷蔵の晩年を代表するシリーズとなった。

雷蔵が主演したシリーズの作品数は12本に及び、雷蔵が主演した作品の中で最も多いものとなった。

プライベートでは1962年(昭和37年)に永田雅一の養女・永田雅子と結婚。3人の子供が生まれている。

雅子は生前の雷蔵から「表には一切出ないように」と言われており、雷蔵の死後、雷蔵について語って欲しいという依頼を断り続けていたが、死後40年を経た2009年(平成21年)、『文藝春秋』2009年(平成21年)5月特別号に太田雅子の名で回想記「夫・市川雷蔵へ四十年目の恋文」を発表している。

◆ 死 去

1968年(昭和43年)6月、雷蔵は『関の弥太っぺ』の撮影中に腸からの出血に見舞われ、入院した。

検査の結果直腸癌であることが判明したが、本人には知らされなかった。8月10日に手術を受け退院したが、家族は医師から「半年余りの間に再発する」という宣告を受けた。

1969年(昭和44年)2月に体調不良を訴え、再び入院。2度目の手術を受けた雷蔵はスープも喉を通らなくなるほど衰弱していたが、『あゝ海軍』で海軍士官の役を演じることに意欲を見せ、関係者と打ち合わせを行っていた。

1969年(昭和44年)7月17日、転移による肝臓がんのため死去した。享年37歳。

特記事項

死後、雷蔵の顔には白布が二重に巻かれ、火葬されるまで解かれることはなかった。太田雅子によると、雷蔵本人の「痩せてしまった姿を誰にも見せたくない」「きれいな顔のままを皆さんに覚えておいてもらいたい」という願いから、死後は養父の壽海と社長の永田以外の者には死に顔を見せなかったという。

◆ 市川雷蔵 / 受賞歴

◇ 1959年(昭和34年)1月 『炎上』でキネマ旬報主演男優賞
◇ 1959年(昭和34年)2月 『炎上』『弁天小僧』でブルーリボン主演男優賞、NHK映画最優秀主演男優賞
◇ 1959年(昭和34年)9月 『炎上』の演技により、イタリアの映画誌『シネマ・ヌオボ』で最優秀男優賞
◇ 1964年(昭和39年)11月 『剣』で京都市民映画祭主演男優賞
◇ 1967年(昭和42年)2月 『華岡青洲の妻』でNHK映画最優秀男優賞、キネマ旬報主演男優賞
◇ 1968年(昭和43年)11月 『華岡青洲の妻』で京都市民映画祭主演男優賞
◇ 1969年(昭和44年)11月 京都市民映画祭マキノ省三賞

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