追悼の森 =東海林太郎さん死去=

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歌手  東海林 太郎 さん死去

1972年(昭和47年)10月4日 死去 享年73歳

東海林太郎写真  

歌手  東海林 太郎 さん死去

ロイド眼鏡に燕尾服、直立不動で歌う昭和の大歌手 東海林 太郎(しょうじ たろう)さんが1972年(昭和47年)10月4日、事務所での打ち合わせの最中に倒れ脳出血のため死去した。73歳だった。

1934年(昭和9年)に「赤城の子守歌」が空前の大ヒットとなった。その後も澄んだバリトンを活かした「むらさき小唄」や「名月赤城山」など多くのヒット歌謡で東海林太郎時代を到来させた。晩年は直腸癌のため人工肛門をつけ病魔を克服しての音楽人生だった。

人物 / 略歴

東海林 太郎(しょうじ たろう、1898年(明治31年)12月11日 ~ 1972年(昭和47年)10月4日)

秋田県秋田市台所町二番地に生まれる。歌手。

ロイド眼鏡、燕尾服を着用し直立不動の姿勢で歌う、戦前を代表する歌手。1965年、紫綬褒章を受章した。

◆ 略 歴

秋田県秋田市台所町二番地に生まれた。東海林は祖母カツの下で生活する。

秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)を卒業。

早稲田大学商学部予科に入学する。

卒業間際に庄司久子と結婚した。

研究科修了後、1923年9月南満州鉄道株式会社に入社、庶務部調査課に勤務。満鉄には7年間勤務したが、その後、退社して帰国。

弟の三郎と早稲田鶴巻町で中華料理店を経営。

◆ 流行歌手に

大日本雄辯會講談社レコード部(現在のキングレコード)専属になり1933年プロ歌手となった。

日本ポリドール蓄音機株式会社(現在のポリドール・レコード)で吹込んだ「赤城の子守歌」が1934年2月新譜で発売され空前のヒットとなった。

その年には「国境の町」も大ヒットし歌手としての地位を確立した。

その後、ポリドール専属となり澄んだバリトンを活かして「むらさき小唄」「名月赤城山」「麦と兵隊」「旅笠道中」「すみだ川」「湖底の故郷」などのヒット歌謡で東海林太郎時代を到来させた。

戦後は、1946年ポリドール復帰第一作が「さらば赤城よ」。1949年、キングレコードへ復帰。1953年、日本マーキュリーレコードへ移籍。

1963年に任意団体(当時)日本歌手協会初代会長に就任。空前のなつかしの歌声ブームのなか東海林太郎の人気が復活し、懐メロ番組に出演したりして脚光を浴びた。

直立不動のスタイルは剣豪宮本武蔵を彷彿させるものであり、「一唱民楽」の言葉のごとく、「歌は民のため」という信念を持ち、あの常に真剣勝負の姿の歌唱魂は激動の昭和を生き抜いた時代精神を表している。

1972年(昭和47年)10月4日、事務所での打ち合わせの最中に倒れ脳出血のため死去した。享年73歳。

特記事項

彼の人生は癌(直腸癌、直腸を全摘後は人工肛門をつけ、腹に晒しをきつく巻きつけながら歌った)との闘いでもあり、病魔を克服しての音楽人生だった。

◆ 東海林太郎 / 受賞歴

◇ 東海林太郎像(秋田県秋田市千秋公園)紫綬褒章(昭和40年)
◇ 第7回日本レコード大賞特別賞(昭和40年)
◇ 勲四等旭日小綬章(昭和44年)
◇ NHK放送文化賞(昭和47年)
◇ 勲三等瑞宝章(昭和47年)…死後追賜

◆ 東海林太郎 / 主な代表曲 ♪

◇ 「絵傘日傘」1933年(昭和8年)
◇ 「キャラバンの鈴」1933年(昭和8年)
◇ 「夢の龍胆」1933年(昭和8年)
◇ 「赤城の子守唄」1934年(昭和9年)
◇ 「国境の町」1934年(昭和9年)
◇ 「月形半平太の唄」1934年(昭和9年)
◇ 「山は夕焼」1934年(昭和9年)
◇ 「谷間のともしび」1934年(昭和9年)
◇ 「明日はあの山」1934年(昭和9年)
◇ 「城ヶ島夜曲」1934年(昭和9年)
◇ 「旅は鼻唄」1934年(昭和9年)
◇ 「綾乃の子守唄」1934年(昭和9年)
◇ 「旅笠道中」1935年(昭和10年)
◇ 「野崎小唄」1935年(昭和10年)
◇ 「お駒恋姿」1935年(昭和10年)
◇ 「むらさき小唄」1935年(昭和10年)
◇ 「椰子の実」1936年(昭和11年)
◇ 「お夏清十郎」1936年(昭和11年)
◇ 「湖底の故郷」1937年(昭和12年)
◇ 「愛国行進曲」1937年(昭和12年)
◇ 「すみだ川」1937年(昭和12年) 台詞:田中絹代
◇ 「牡蠣の殻」1937年(昭和12年)
◇ 「上海の街角で」1938年(昭和13年)
◇ 「忠治子守唄」1938年(昭和13年)
◇ 「陣中髭くらべ」1938年(昭和13年)
◇ 「麦と兵隊」1938年(昭和13年)
◇ 「名月赤城山」1939年(昭和14年)
◇ 「紀元二千六百年」1940年(昭和15年)
◇ 「ハルピン旅愁」1940年(昭和15年)
◇ 「戦場初舞台」1940年(昭和15年)
◇ 「ああ草枕幾度ぞ」1941年(昭和16年)
◇ 「軍国舞扇」1941年(昭和16年)
◇ 「琵琶湖哀歌」1941年(昭和16年)共唱:小笠原美都子
◇ 「さらば赤城よ」1947年(昭和22年)

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