追悼の森 =田宮二郎さん死去=

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俳優  田宮二郎 さん死去

1978年(昭和53年)12月28日 死去 享年43歳

田宮二郎写真  

俳優  田宮二郎 さん死去

山崎豊子原作「白い巨塔」の財前五郎役で知られた俳優の 田宮 二郎(たみや じろう)さんが1978年(昭和53年)12月28日、 死去した。43歳だった。

同日午後1時半ごろ、東京都港区元麻布の自邸2階の寝室で、アメリカ製散弾銃のひきがねを足の指で引き死亡しているのが発見された。弾は心臓部に直径約3センチの穴をあけ、即死の状態であった。強度の躁鬱(そううつ)病を患い、誇大妄想的な異常な言動があったといわれていた。

人物 / 略歴

田宮 二郎(たみや じろう、1935年(昭和10年)8月25日 ~ 1978年(昭和53年)12月28日)

大阪府大阪市北区出身。本名は柴田吾郎(しばた ごろう)。 俳優、司会者。

代表作は映画『悪名』シリーズ、『白い巨塔』、クイズ番組『クイズタイムショック』、テレビドラマ『白い巨塔』など。

妻は元女優の藤由紀子。長男は俳優・テレビレポーターの柴田光太郎。次男は俳優の田宮五郎。元俳優の南川直は従兄。

◆ 略 歴

生後4日で住友財閥の大番頭だった父を失い、戦後まもなく母とも死別。そのため幼少から高校時代にかけては京都にて親族に育てられる。

京都府立鴨沂高等学校、学習院大学政経学部経済学科卒。

大学在学中の1955年(昭和30年)、スポーツニッポン社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で優勝。大映演技研究所10期生として入社。

1956年(昭和31年) - ファッション雑誌『男子専科』の専属モデルに応募し合格、以後数年間は俳優業を兼ね活動する。
1957年(昭和32年) - 本名の「柴田吾郎」でデビュー。
1959年(昭和34年) - 「田宮二郎」と改名。
1961年(昭和36年) - 『女の勲章』(吉村公三郎監督、山崎豊子原作)の演技で注目を集めた。

1961年秋に勝新太郎と共演した『悪名』(田中徳三監督、今東光原作)にて勝の相棒「モートルの貞」役に抜擢され、人気スターの仲間入りを果たす。田宮は3作目から貞の弟「清次」を演じ、長きにわたる人気シリーズとなった。

またこれらの演技が評価され、1961年(昭和36年)のエランドール新人賞を獲得した。

1965年(昭和40年)に『黒の爆走』『黒の超特急』などで共演した藤由紀子と結婚。

1966年(昭和41年)、『白い巨塔』(山本薩夫監督、山崎豊子原作、大映作品)で財前五郎役を演じたことで、その名声は決定的なものになり、「昭和のクールガイ」と呼ばれた。

◆ 映画界追放

1968年(昭和43年)、映画『不信のとき』(今井正監督、有吉佐和子原作、大映作品)の宣伝ポスター(原案)騒動において、大映の永田社長は田宮を一方的に解雇。さらに五社協定を持ち出し、他社の映画にもテレビドラマにも田宮を使わないように通達した。

◆ テレビ界進出と復活

完全に干されてしまった田宮は、家族を養うために舞台俳優、司会者、歌手として活動し、片やナイトクラブ、キャバレー回りなどの地方巡業もしていた。

1969年(昭和44年)1月9日からは、NET(現・テレビ朝日)系列で放送が始まったクイズ番組『クイズタイムショック』の初代司会を務め、映画でのクールな雰囲気から一転したソフトなキャラクター、加えて軽快で巧みな話術ときわめて的確な番組進行が視聴者の好感を呼んだ。

1969年(昭和44年)6月で大映との契約が切れたことにより、映画『日本暗殺秘録』に出演して、映画界へもカムバックを果たした。

1972年(昭和47年)にはTBS系ドラマ『知らない同志』でテレビドラマへ本格進出。

その後も『白い影』『白い滑走路』などの白いシリーズや、山田太一脚本『高原へいらっしゃい』などの話題のドラマに主演して、立て続けにヒットを飛ばし、ドラマ界でも花形スターの座を獲得。

その頃になると、ビジネスに強い興味を持ち、ゴルフ場やマンションの経営を行ったが失敗。多額の借金を抱えてしまう。

そして次第に精神を病み、同年3月には精神科医の斎藤茂太から躁鬱病と診断された。

◆ 『白い巨塔』

1977年(昭和52年)、小説『白い巨塔』のドラマ化を強く希望した。田宮は原作者・山崎豊子に直接願い入れ、快諾を得て1977年(昭和52年)11月にはドラマ化が決定した。

◆ 撮影のさなかに多額の債務、うつ病との闘い

1977年(昭和52年)12月に入ると、躁状態に入った田宮はあれほど入れ込んでいたドラマ化への関心が薄れ、いかがわしいビジネスに熱中し始め、多額の債務を抱えてしまう。

妻は弁護士と協議の上、偽装離婚することにより財産を守ったほどである。

田宮の事業熱が収まらないまま、ドラマ『白い巨塔』は1978年(昭和53年)3月26日に撮影開始。

6月3日には第1話の放送が視聴率18.6%と好調にスタートした。

9月17日から後半の収録が始まったが、テンションが高かった旅行前とは一転し、田宮は泣き崩れてばかりでセリフが頭に入らなくなっていた。

妻やスタッフが必死に彼を励まし続け、共演者の協力もあって撮影は11月15日に無事終了。

財前五郎の死のシーンに際して、田宮は3日間絶食してすっかり癌患者になりきり、財前の遺書も自らが書き、それを台本に加えさせた。

◆ ドラマの終わりと共に

ドラマ撮影の間、9年に渡って司会を務めてきた『クイズタイムショック』を1978年(昭和53年)9月28日放送分をもって降板、司会者は山口崇へ引き継がれた。

『白い巨塔』撮影終了後の田宮はすっかり虚脱状態になり、「財前五郎の後に、どんな役を演じたらいいかわからない」とプロデューサーの小林俊一に漏らすようになっていた。

◆ 衝撃の死

ドラマ『白い巨塔』の放映が残り2話となっていた1978年(昭和53年)12月28日昼過ぎ、家族と別居し1人で住んでいた港区元麻布の自宅で起床した田宮は、付き人に赤坂へ仕出し弁当を取りに行くよう命じたあと猟銃自殺を遂げた。43歳没。

足の指で猟銃用の散弾銃の引金を操作して胸を撃ち抜いたその方法もあいまって、非常に大きな衝撃をもって報道された。

特記事項

没後30年以上経つが、近年になり田宮主演の映画やドラマが相次いでDVD化され、ドラマのリメイクも行われている。

映画化された小説『華麗なる一族』(山崎豊子原作)において万俵鉄平が猟銃自殺をする場面があり、田宮の死を電話で知らされた山崎豊子は、すぐに「猟銃でしょう」と悟ったという。

◆ 田宮二郎 / 主な出演テレビドラマ

◇ 疑惑(1960年)
◇ 赤ひげ診療譚(1960年、フジテレビ)
◇ 東京タワーは知っている(フジテレビ)
◇ 第20回「愛の渇き」(1960年)
◇ 第24回「銀座の赤ん坊」(1961年)
◇ うすゆき(1961年、フジテレビ)
◇ 侍(1960年 - 1961年、関西テレビ)
◇ 第20回「槍一筋」(1961年)
◇ 東芝土曜劇場 肩代り屋(1962年、フジテレビ)
◇ Hawaii Five-O(1968年 - 1980年、アメリカCBS)
◇ Odd Man In[1](第4シーズン第14話、1971年) - シバタゴロウ役
◇ 知らない同志(1972年、TBS) - 三友竜一役
◇ 金曜ドラマ 白い影(1973年、TBS) - 直江庸介役
◇ 白い滑走路(1974年、TBS) - 杉山重夫役
◇ 金曜ドラマ 樹氷(1974年、TBS)
◇ 白い地平線(1975年、TBS) - 中根竜三役
◇ 高原へいらっしゃい(1976年、TBS) - 面川清次役
◇ 白い秘密(1976年、TBS) - 三村医師役
◇ 金曜ドラマ 光る崖(1977年、TBS) - 郷原武彦役
◇ 白い荒野(1977年 - 1978年、TBS) - 仁科純一役
◇ 土曜劇場 白い巨塔(1978年、フジテレビ) - 財前五郎役

◆ 田宮二郎 / 出演CM

◇ 大関(1968年 - 1977年) - 『酒は大関 心意気』のキャッチコピーを利用したCMは田宮出演が最初。
◇ トヨタ自動車 コロナ(1977年)
◇ ホラヤ

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