追悼の森 =徳川夢声さん死去=

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話術家、弁士、漫談家  徳川夢声 さん死去

1971年(昭和46年)8月1日 死去 享年77歳

徳川夢声写真  

話術家、弁士、漫談家  徳川夢声 さん死去

テレビ創生期の立役者の一人で、元祖マルチタレントとも言える多彩な顔を持った 徳川 夢声(とくがわ むせい)さんが1971年(昭和46年)8月1日、脳軟化症に伴う肺炎のため死去した。77歳だった。

昭和の話術家、弁士、漫談家、作家、俳優など多彩な顔を持ち、ラジオ、テレビ番組などをはじめ多方面で活動した。日本の元祖マルチタレントとも言える人物として知られ、日本におけるテレビ創生期の立役者の一人であり、日本放送芸能家協会初代理事長を務めた。

人物 / 略歴

徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 ~ 1971年8月1日)

本名は福原駿雄(ふくはら としお)。 島根県益田市に生まれ、東京に育つ。弁士、漫談家、作家、俳優。日本放送芸能家協会初代理事長。

ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。

◆ 略 歴

3歳の頃、母に捨てられ、同居していた祖母に育てられる。

東京府立第一中学校(現在の都立日比谷高校)を卒業したが、一高(現在の東京大学教養学部)の入学試験に二度失敗。明治大学の聴講生になったが、1913年(大正2年)に活動写真(無声映画)の弁士となる。

1915年(大正4年)9月に、赤坂葵館に主任弁士として迎えられる。

1925年(大正14年)、新宿武蔵野館に入る。東京を代表する弁士として、人気を博す。

昭和の時代になって、音声の出るトーキーが登場すると弁士の必要はなくなり、漫談や演劇に転じる。

1926年(大正15年)に古川ロッパらと元弁士らの珍芸劇団「ナヤマシ会」を結成。

また、ラジオでも活躍。1939年から、NHKラジオで吉川英治の『宮本武蔵』の朗読を始め、人気を博す。独特の「間」は夢声独自のものであった。

テレビ放送も初期から関わり、NHKテレビの『こんにゃく問答』(柳家金語楼と競演)などに出演、日本におけるテレビ創生期の立役者のひとりである。1951年(昭和26年)、芸術祭賞受賞。

1955年(昭和30年)、「年ごとに円熟を示している各方面における活躍」により、菊池寛賞を受賞。

1965年(昭和40年)には愛知県犬山市にオープンした博物館明治村の初代村長となった。

1971年(昭和46年)8月1日、脳軟化症に肺炎を併発して死去。77歳没。最期の言葉は「おい、いい夫婦だったなあ」であった。

特記事項

「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。

◆ 徳川夢声 / 市民賞の受賞者

※ 夢声の生地である益田市が、2001年より、夢声にちなんで話芸に秀でた人を表彰する賞として授与している。

◇ 第1回(2001年) - 小沢昭一
◇ 第2回(2002年) - 中村メイコ
◇ 第3回(2003年) - 加賀美幸子
◇ 第4回(2004年) - 永六輔
◇ 第5回(2005年) - 山川静夫
◇ 第6回(2006年) - 浜村淳
◇ 第7回(2007年) - 宇田川清江
◇ 第8回(2008年) - 平野啓子
◇ 第9回(2009年) - 山根基世
◇ 第10回(2010年) - 堀尾正明

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