追悼の森 =福田赳夫元首相死去=

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第67代 内閣総理大臣  福田赳夫 さん死去

1995年(平成7年)7月5日 死去 享年90歳

福田赳夫写真  

第67代 内閣総理大臣  福田赳夫 さん死去

第67代 内閣総理大臣を務めた 福田 赳夫(ふくだ たけお)元首相が1995年(平成7年)7月5日、肺気腫のため死去した。90歳だった。

1976年(昭和51年)12月、三木武夫の後任として第67代 内閣総理大臣に就任。71歳という高齢を心配する周囲からの声に対し、自らの生年に因み「明治三十八歳」と言って若さをアピールした。1978年(昭和53年)12月 、内閣総理大臣を辞任。1990年(平成2年)2月、第39回衆議院議員総選挙を機に政界を引退。長男の康夫氏が後継者となった。

人物 / 略歴

福田 赳夫(ふくだ たけお、1905年(明治38年)1月14日 ~ 1995年7月5日)

群馬県群馬郡金古町足門(現:高崎市足門町)に生まれる。大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。

衆議院議員、農林大臣(第27代)、大蔵大臣(第70・73・74・78代)、外務大臣(第99代)、行政管理庁長官(第36代)、経済企画庁長官(第26代)、内閣総理大臣(第67代)などを歴任した。

◆ 略 歴

群馬県群馬郡金古町足門(現在の高崎市足門町)に父・福田善治(元金古町長)の二男として生まれた。

小学校の頃から神童の誉れ高く、旧制高崎中学(現在の群馬県立高崎高等学校)を首席で卒業し、第一高等学校から東京帝国大学法学部へ進学。

◆ 官僚時代

高等文官試験に一番の成績で合格し、大蔵省に入省した。

3年半のイギリスでの勤務の後、帰国。その後は大蔵省の主計局で順調に出世して局長にまで登り詰めたが、1948年(昭和23年)の政府関係者に対する贈収賄が問題になった昭電疑獄の際に、大蔵省主計局長だった福田は収賄罪容疑で逮捕される。

結果として無罪にはなったものの、これを機に大蔵省を退官した。

◆ 国会議員へ

1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で群馬三区から無所属で立候補し当選、岸信介に仕えた。

1958年(昭和33年)には当選4回ながら自由民主党政調会長就任。

1959年(昭和34年)1月から自民党幹事長を、6月からは農林大臣を務める。

1960年(昭和35年)12月、大蔵省の先輩である池田勇人の政権下で、政調会長に就任。

続く佐藤栄作政権下では大蔵大臣、党幹事長、外務大臣と厚遇され、佐藤の後継者として大いにアピールしたが、この時から“ポスト佐藤”をめぐる田中角栄との熾烈な闘争(角福戦争)が始まる。

1972年(昭和47年)発足した田中内閣においては下野する形になったが、同年12月の総選挙で自民党が改選前議席を割り込むと田中が挙党一致を求める形で第2次田中角栄内閣に行政管理庁長官として入閣。

翌1973年(昭和48年)11月の内閣改造では、急逝した愛知揆一の後任として大蔵大臣に就任。

1974年(昭和49年)12月に発足した三木内閣でも副総理・経済企画庁長官として入閣し、引き続き経済政策の陣頭に立った。

しかし、ロッキード事件への対応を巡って党内で三木おろしが決定的になった1976年(昭和51年)11月に閣僚辞任している。

◆ 総理大臣

1976年(昭和51年)、総裁選で他の立候補者がなかったため、両院議員総会での話し合いにより総裁に選出され、三木武夫の後任として念願の政権(福田内閣)を樹立。

福田は大平を幹事長に据えて大平派との連携により政局の安定を図る。

1978年(昭和53年)10月23日、鄧小平副総理を日本に迎え、「日中平和友好条約」に調印。

大福密約の総理総裁2年任期後の大平への政権禅譲を拒否し、「世界が福田を求めている」として自民党総裁選挙に再選をかけて立候補。

自民党総裁選では、大平正芳候補を支持する田中派が大掛かりな集票作戦を展開し、福田は大平に大差で敗北し総理総裁を退く。

◆ 総理退任後

1979年(昭和54年)、大平政権下では反主流と化して四十日抗争、ハプニング解散で再び田中・大平主流派と対立した。

その後も度々総裁候補として浮上し、自民党の実力者であり続けた。

1984年(昭和59年)に二階堂擁立構想をきっかけに発言力が低下し、1986年(昭和61年)に派閥を安倍晋太郎に譲った。

1990年(平成2年)、第39回衆議院議員総選挙を機に政界引退。長男康夫が後継者となるが、当初は次男の征夫を後継者として考えていたため、病気に倒れるまでは「康夫は面の皮が薄すぎて政治家に向かない」と周囲に語っていた。

1995年(平成7年)7月5日、肺気腫で死去した。90歳没。

特記事項

引退するまで連続14回当選。

◆ 福田 赳夫 / 家族・親族

◇ 父 福田善治(政治家・元金古町長)
◇ 兄 平四郎(政治家・元金古町長)
◇ 弟 宏一(政治家)
◇ 妻 三枝(群馬県,新井文夫三女、元大審院判事新井善教の孫娘)
◇ 長男 康夫(会社員、政治家・首相)
◇ 長女 和子(官僚、政治家越智通雄に嫁する)
◇ 次男 征夫(群馬県,伊香保温泉横手館へ養子入り)
◇ 孫 越智隆雄(銀行員、政治家) 福田達夫(総理大臣政務秘書官) など
◇ その他の親戚 櫻内幸雄(実業家、政治家) 櫻内乾雄(実業家・元中国電力会長) 櫻内義雄(政治家・元衆議院議長)など

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