追悼の森 =宮城千賀子さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【ま~み~む~め~も】 著名人訃報一覧【ま~み~む~め~も】Etc-183
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

女優  宮城千賀子 さん死去

1996年(平成8年)8月7日 死去 享年73歳

宮城千賀子写真  宮城千賀子映像

訃報サイト

女優  宮城千賀子 さん死去

女優の 宮城 千賀子(みやぎ ちかこ)さんが1996年(平成8年)8月7日午後11時20分、急性肺炎のため岩手県盛岡市の内丸病院で死去した。73歳だった。

1935年(昭和10年)に13歳で宝塚歌劇団に入団。退団後に片岡千恵蔵主演の「宮本武蔵」の「お通」役に抜擢されて華々しく映画デビューした。テレビのバラエティ番組「独占!女の60分」では司会者としても活躍した。4年前に脳出血で倒れ、出身地の盛岡市で療養生活を送っていた。

人物 / 略歴

宮城 千賀子(みやぎ ちかこ、1922年11月26日 ~ 1996年8月7日)

岩手県(現盛岡市)に生まれる。本名は佐藤ユキ(さとう ゆき)。女優

第二次世界大戦前に宝塚歌劇団を退団後、映画女優に転向、戦後も「劇団なでしこ」を率いて舞台活動も行ない、テレビにも多く出演した。

◆ 略 歴

岩手県(現盛岡市)に生まれる。

13歳になる1935年(昭和10年)に宝塚歌劇団に入団(第24期)、「東風うらゝ」の名で男役として活躍した。

1940年(昭和15年)に17歳で退団、日活に入社。

片岡千恵蔵主演の『宮本武蔵』の「お通」役に抜擢されて華々しくスクリーンデビュー。同作は同年3月31日に公開された。

1941年(昭和16年)11月26日、助監督として働いていた、牧野省三の三男・マキノ真三と恋愛結婚する。

1942年(昭和17年)に木村恵吾監督の大ヒット作『歌ふ狸御殿』を最期に引退して家庭に入る。

翌1943年(昭和18年)、21歳で長男・省一を出産する。

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)6月、夫の真三とともに「マキノ芸能社」を設立、映画製作も行なうが、1948年(昭和23年)10月には解散している。

1952年(昭和27年)からは映画に多く出演し、翌1953年(昭和28年)の中盤に離婚することになった。その後も多くの映画に出演した。

熟年となった1975年(昭和50年)10月に開始したテレビのバラエティ番組『独占!女の60分』では、松竹歌劇団第1期生の水の江瀧子らとともに司会をつとめ、同番組に1987年(昭和62年)3月まで出演をつづけた。

1996年(平成8年)8月7日午後11時20分、急性肺炎のため岩手県盛岡市の内丸病院で死去した。73歳没。

特記事項

宝塚時代は東風 うらゝ(こち うらら)と名乗った。

◆ 宮城千賀子 / 主な出演テレビ番組

◇ あいつと私(1967年、NTV)
◇ 白い巨塔(1967年、NET)
◇ キイハンター 第25話「現金を怖がる泥棒」(1968年、TBS)
◇ 夫婦旅日記 さらば浪人 第18話「明石の夕なぎ」(1976年、CX)
◇ 日本剣客伝 第8話「高柳又四郎」(1968年、NET)
◇ 夫婦旅日記 さらば浪人 第18話「明石の夕なぎ」(1976年、CX)
◇ 東芝日曜劇場「京おんな・恋のおくり火」(1978年、MBS)
◇ 土曜ワイド劇場「白銀の死闘」(1979年、ANB)
◇ 木曜ゴールデンドラマ (YTV)「嫁・姑・小姑」(1983年) / 「嫁・舅・姑・実母」(1989年)
◇ 逆転あばれはっちゃく(1985年、ANB)
◇ マドンナは春風にのって(1990年、NHK)
◇ 水曜グランドロマン「水の中の祭り・3」(1991年、NTV)
◇ 徹子の部屋(ANB)
◇ 一枚の写真(CX)
◇ ライオンのいただきます(CX)

◆ A Related Words :
宮城千賀子 宝塚歌劇団/宮城千賀子 プロフィール/宮城千賀子 略歴/宮城千賀子 死去/宮城千賀子 訃報/宮城千賀子 女の60分

Page Top

スマートフォン / PC サイト