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フリーアナウンサー、タレント  逸見政孝 さん死去

1993年(平成5年)12月25日 死去 享年48歳

逸見政孝写真  

フリーアナウンサー、タレント  逸見政孝 さん死去

フリーアナウンサーとして「いっつみい」の愛称で呼ばれ活躍した 逸見 政孝(いつみ まさたか)さんが1993年(平成5年)12月25日午後零時47分、末期のスキルス胃がんによる癌性悪液質のため東京都新宿区の東京女子医科大学病院で死去した。48歳だった。

1988年(昭和63年)3月、フジテレビを退社後に「オフィスいっつみい」を設立しフリーとなった。その後、数多くの人気番組の司会を務め日本を代表する司会者として高い人気を誇った。

人物 / 略歴

逸見 政孝(いつみ まさたか、1945年2月16日 ~ 1993年12月25日)

大阪市阿倍野区阪南町生まれ。フリーアナウンサー、タレント、司会者。

愛称はいっつみい。元フジテレビアナウンサー。

◆ 略 歴

大阪市立阪南小学校、大阪市立阪南中学校を経て、大阪府立阿倍野高等学校を卒業後、一浪して、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。

大学ではアナウンス研究会に所属。

◆ 局アナ時代

大学卒業後の1968年、フジテレビのアナウンサー試験を突破。フジテレビに入社 。

当初はスポーツアナウンサーとして活躍。輪島功一の世界タイトルマッチの実況を中心にプロボクシング中継を担当。
ボクサーより先に倒れるのではないかと思われるほどの絶叫調の実況で頭角を現した。

スポーツ中継と並行してワイドショー『3時のあなた』のサブ司会者としても活躍した。

その後報道へ転出。1978年平日放送の『FNNニュースレポート6:30』のキャスターとなる。

1984年4月からは全国ニュース『FNNニュースレポート6:00』のキャスターを務める。

そして同年10月にスタートした『FNNスーパータイム』の初代メインキャスターに抜擢され、幸田シャーミンとのコンビで人気を博す。

人気の高まりを受け、1986年には滝田洋二郎監督、内田裕也主演の映画『コミック雑誌なんかいらない!』にも出演。

また、バラエティ番組への出演が増え、高橋圭三の勇退を受けて、『新春かくし芸大会』の司会を芳村真理とのコンビで担当、名実ともにフジテレビを代表する看板アナウンサーとしての地位を確立する。

この年にはベスト・ファーザー イエローリボン賞にも選出された。

◆ フリー転身後

1988年3月末をもって、アナウンス部副部長待遇を最後にフジテレビを円満退職。

「オフィスいっつみい」を設立。してフリーとなる。(社長は晴恵夫人)

フリー転進後のテレビでは『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『夜も一生けんめい。』 、『たけし・逸見の平成教育委員会』 など数多くの人気番組の司会を務め、「いっつみい」の愛称で、視聴者から高い好感度を得た。また、日本を代表する「名 (迷) 司会者」として語り継がれている。

フリーアナウンサーとして順調に仕事をこなす中、1992年11月には世田谷区奥沢の131坪の土地に12億円 (当時) の英国風の大豪邸を築きあげた。同時に大阪に居住していた両親を呼び寄せ、旧宅に住まわせた。

司会者としての話術だけでなく、どんな時でも人への感謝の気持ちを決して忘れないその人柄で、老若男女、業界関係者、視聴者問わず、多くの人たちに愛され、1980年代後半から1990年代前半にかけてのテレビ黄金期を支え続けた。

◆ 最初のガン発見と手術

1993年1月18日、胸のみぞおちの辺りに痛みを訴え、江川卓に紹介された港区元赤坂の前田外科病院(現:赤坂見附前田病院)を受診。担当医から、いきなり「胃に初期のガン細胞を見つけた」と診断が下された。

前田昭二院長はじめ医師の執刀により、同年2月4日に胃の4分の3と周囲のリンパ節、腹膜の転移病巣を切除する3時間程度の最初の手術を受けた。

この際晴恵夫人だけには院長が「ご主人の病状は、実際は初期のガンではなかった。ギリギリの所ですべてのガン細胞を取り除いたが、残念ながら5年先の生存率はゼロに近い」と宣告していた。

退院後、春からの新番組も始まったことで逸見は再び軌道に乗り始めたかに思えた。

しかし、同年5月下旬頃になると、メスを入れた手術跡の線上がケロイド状に膨れ始めた。その突起物が次第に大きくなり始めて服を着るにも邪魔なほどになってしまった。

同年8月12日にその突起物を除去するという名目で2度目の手術を受けたが、ガンはすでに腹腔全体に広がるまでに進行しており、ガン性腹膜炎という末期状態であった。

晴恵夫人や所属事務所の三木治社長など、何度も周囲から別の病院での診察を勧められても全く聞き入れず「自分が決めた事に対して一切口出しするな!」と激怒する事もあったという。

◆ ガン再発と告白会見、そして闘病期

前田外科病院での再手術に当たって院長に直接執刀をしてくれるのか尋ねたところ「ちょうどその頃、僕は夏休みに入っているんだなあ」と思わぬ返答をされたことなどで前田外科への不信感を抱き始めた。

同年9月3日にようやく新宿区河田町の東京女子医科大学病院を訪れた。

この時、初めてガンの再発を直接宣告される。その際、羽生冨士夫教授をはじめとする医師団からは、触診の際に「何故ここまで放っておいたのですか!?」と怒られ、厳しい現状を告げられていた。

同年9月6日午後3時、日本テレビで緊急記者会見を行い、各局のワイドショーで生中継された。

この会見で、自ら進行胃ガン(スキルス胃ガン)であることを、初めて公の場で告白した。

そして、「もう一回、いい形で生還しましたというふうに言えればいいなと思っています・・・どうもありがとうございました」と復帰に懸ける闘病への意気込みを語り、記者からは「頑張ってください!!」と満場の拍手で逸見を激励した。

その記者会見の翌日からすべての仕事を休止。東京女子医科大学病院に入院し、本格的な闘病生活に入った。

そして、羽生冨士夫消化器病センター所長ら数名の権威の執刀により、同年9月16日に13時間(臓器摘出手術に5時間、大腿部から腹部への皮膚移植手術に8時間)にも及ぶ大手術を受けた。

◆ 術後の容態悪化と最期

手術後は歩行訓練を行ったり、お粥などの流動食から好物のたこ焼き等の普通食を摂るなど、順調に回復している様子も見せた。

ところが、大手術から1か月が経過していた同年10月23日、突然激しい腹痛を起こして食べ物を嘔吐した。

その後の検査結果が腸閉塞と判明し、普通食禁止の絶対安静となり、高栄養の点滴をつけられたが、逸見は徐々に衰弱していった。

また、同年11月上旬からは抗ガン剤の投与が開始され、副作用の影響から日頃の表情豊かであった逸見とは程遠い状態に陥った。

同年12月16日には再検査で腸にガンが見つかった。

主治医は12月1日に「ご主人の体に再びメスを入れることはできなくなった。残念な話であるが、年を越せるか疑わしい」と妻の晴恵ら家族に宣告していた。

12月24日、この日ついに意識不明の危篤状態に陥る。

翌12月25日午後0時47分、末期のスキルス胃ガンによるガン性悪液質のため、東京女子医科大学病院で亡くなった。享年48歳没。

最初のガン発見から341日後、そして記者会見からわずか3か月半後であった。

特記事項

妻はエッセイストの逸見晴恵。長男は俳優の逸見太郎。長女はタレントの逸見愛。

◆ 逸見政孝 / 出演CM

◇ シュガーレディ (晴恵夫人と共演)
◇ 旭ホームズ
◇ マツダ (西ドイツ顧客満足度№1編)
◇ HOYA (長女・愛と共演)
◇ 明治生命 (現明治安田生命)
◇ ダスキン (創立30周年記念CMにさだまさしと共演。逸見生涯最後のCMでもある)
◇ PCエンジンワールド (PCエンジン用のプロモーションビデオにナレーションとして出演)

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