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漫才師  中田ダイマル さん死去

1982年(昭和57年)9月5日 死去 享年68歳

中田ダイマル写真  

漫才師  中田ダイマル さん死去

戦後の上方漫才を代表する兄弟コンビの一人 中田 ダイマル(なかた ダイマル)さんが1982年(昭和57年)9月5日、腹膜炎のため死去した。68歳だった。

1941年(昭和16年)、コンビを組んでいた兄の病死に伴い弟とコンビを組み、中田ダイマル・ラケットを結成した。十三朝日座でデビューの後、「拳闘漫才」などで話題を博したほか、「お笑い街頭録音」「ダイラケ二等兵」「スチャラカ社員」などの番組にも出演し「爆笑王」の異名をとった。

人物 / 略歴

中田ダイマル(なかた だいまる、1913年(大正2年)12月14日 ~ 1982年(昭和57年)9月5日)

兵庫県川辺郡小田村金楽寺に生まれる。本名は中田勇夫。漫才師。

◆ 略 歴 / 漫才コンビ 中田ダイマル・ラケット

大阪を中心に活躍した漫才コンビ。出囃子『拳の三味線』。

戦後の上方漫才を代表する兄弟コンビ。「爆笑王」の異名をとった。愛称は「ダイラケ」。

実家は農家で男6人女6人の12人兄弟でダイマルは7人目の三男。ラケットは10人目の六男。

ダイマルは1923年に小田第一尋常高等小学校(現在の尼崎市立下坂部小学校)中退。

1926年に近所の大阪製麻に就職、後に職を転々とした。

1930年、兄と中田松王・梅王という漫才コンビを結成。後に中田デパート・ダイマルと改名し、1934年に天神橋五丁目葵席で初舞台を踏む。

1941年に兄が結核性の腎臓病で病死し、工員であった弟と無理やりコンビを組み、中田ダイマル・ラケットを結成した。十三朝日座でデビュー。

戦後間もないころから劇団(一座)を結成、1946年には松長興業に所属し千日前南地劇場、阿倍野近畿劇場、神戸新開地劇場など小さな劇場に出演していた。

1947年に戎橋松竹の幕間の「拳闘漫才」で話題を博し、1958年(昭和33年)に、朝日放送の専属タレントとなった。

『お笑い街頭録音』『ダイラケ二等兵』『ダイラケのびっくり捕物帖』『スチャラカ社員』『ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲』『すかたん社員』などの番組に出演し、一世を風靡した。

1970年に松竹芸能から吉本興業に移籍。

横山エンタツ・花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいしらの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、天性の発想力による奇抜なシチュエーション展開で笑わせるタイプの天才肌漫才であった。

結婚歴は二回であるが、一人目との妻との間の三番目の子どもとは別に、妾の女性との間に次女と同い年の娘がおり、ダイマルのマネージャーを勤めた頃もあった。

加齢のためレギュラー番組がなくなってからは特に飲酒量が増え、それがきっかけで胃潰瘍になり、1982年(昭和57年)9月5日、腹膜炎のため死去した。享年68歳。

特記事項

ダイマルは酒と女性が大好きであった。

人気も収入も全盛期であった53歳の時に当時の妻に全ての動産、不動産を譲ることを条件に離婚し、32歳年下の女性と再婚した。

結婚歴は二回であるが、一人目との妻との間に3番目の子どもがいたが、別に妾の女性との間に次女と同い年の娘がいた。

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