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漫才師  中田ラケット さん死去

1997年(平成9年)2月5日 死去 享年76歳

中田ラケット写真  

漫才師  中田ラケット さん死去

戦後の上方漫才を代表する兄弟コンビの一人 中田 ラケット(なかた ラケット)さんが1997年(平成9年)2月5日、心不全のため死去した。76歳だった。

1941年(昭和16年)、ダイマルとコンビを組んでいた兄の病死に伴い、中田ダイマル・ラケットを結成した。十三朝日座でデビューの後、「言うてみてみ、聞いてみてみ」「知らんかっとってん」などのギャグで人気を集めた。また、「お笑い街頭録音」「スチャラカ社員」などにも出演し「爆笑王」の異名をとった。

人物 / 略歴

中田ラケット(なかた らけっと。1920年(大正9年)3月3日 ~ 1997年(平成9年)2月5日)

兵庫県川辺郡小田村金楽寺に生まれる。本名は中田信夫。漫才師。

◆ 略 歴 / 漫才コンビ 中田ダイマル・ラケット

実家は農家で男6人女6人の12人兄弟でダイマルは7人目の三男。ラケットは10人目の六男。

ラケットは明るく遊び人であった兄ダイマルとは対照に、とても無口で神経質な性格であり、大きな舞台では顔が引きつったラケットをダイマルがニコニコ笑いながら励ます光景がよく見られた。

1941年に中田ダイマルとコンビを組んでいた兄が結核性の腎臓病で病死し、無理やりコンビを組まされ、中田ダイマル・ラケットを結成した。十三朝日座でデビュー。

1947年に戎橋松竹の幕間の「拳闘漫才」で話題を博し、1958年(昭和33年)に、朝日放送の専属タレントとなった。

『お笑い街頭録音』『ダイラケ二等兵』『ダイラケのびっくり捕物帖』『スチャラカ社員』『ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲』『すかたん社員』などの番組に出演し、一世を風靡した。

1970年に松竹芸能から吉本興業に移籍。

横山エンタツ・花菱アチャコ、夢路いとし・喜味こいしらの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、天性の発想力による奇抜なシチュエーション展開で笑わせるタイプの天才肌漫才であった。

代表作に、『僕は幽霊』『家庭混戦記』『僕の恋人君の恋人』『恋の手ほどき』『地球は回る目は回る』『僕は迷医』『僕は迷優』『僕の時計(僕の健康法)』『僕の漂流記』『僕の農園』『僕は小説家』『無線車』『ジャンケン』『僕の発明』などがある。

「いうてみてみ」「きいてみてみ」・「なんじゃとて」・「かわいそうになぁ」・「青火がパァ、ボヤがボォ」・「いっしょやいっしょ~」・「そーやがな、そーやがな、そーやがな」等のフレ-ズが有名である。

1997年(平成9年)2月5日 心不全のため死去した。 享年76歳。

特記事項

戦後の上方漫才を代表する兄弟コンビ。「爆笑王」の異名をとった。愛称は「ダイラケ」。

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