追悼の森 =田中角栄元首相死去=

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第64~65代 内閣総理大臣  田中角栄 さん死去

1993年(平成5年)12月16日 死去 享年75歳

田中角栄写真  

第64~65代 内閣総理大臣  田中角栄 さん死去

「コンピュータ付きブルドーザー」と評された 田中 角栄(たなか かくえい)元首相が1993年(平成5年)12月16日、死去した。75歳だった。

1947年(昭和22年)4月、第23回総選挙で新潟3区から民主党公認で出馬し初当選、以後、16期を務めた。1972年(昭和47年)7月6日、第1次田中内閣が成立。第64代内閣総理大臣に就任。「コンピュータ付きブルドーザー」と形容される知識量、実行力で知られた。1985年(昭和60年)2月27日、脳梗塞で倒れ、1989年10月には次期総選挙への不出馬を発表した。

人物 / 略歴

田中 角榮(たなか かくえい、1918年(大正7年)5月4日 ~ 1993年(平成5年)12月16日)

新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現:柏崎市)に生まれる。

衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。

◆ 略 歴

新潟県刈羽郡二田村大字坂田(現:柏崎市)に父・田中角次、母・フメの二男として生まれる。

田中家は農家だが父・角次は牛馬商、祖父・捨吉は農業の傍ら宮大工を業としていた。幼いころ吃音があり、浪花節を練習して矯正した。

1933年(昭和8年)、二田高等小学校卒業。

田中自身は「中央工学校」卒と明記していたが、大蔵大臣就任時の挨拶に見られるように「高小卒業」を一つのアピールにしていたこともあり、今日に至るまでこのイメージが強い。

◆ 上京

◇ 1934年(昭和9年)3月 - 上京。住み込みで井上工業等の会社に働きながら、神田の中央工学校土木科(夜間部)に通う。
◇ 1936年(昭和11年)3月 - 中央工学校土木科を卒業。建築技師として自活。
◇ 1937年(昭和12年) - 「共栄建築事務所」を設立する。
◇ 1939年(昭和14年)4月 - 応召、満州国で兵役に就く。
◇ 1940年(昭和15年)3月 - 陸軍騎兵上等兵となる。
◇ 1941年(昭和16年)2月 - 肺炎を患い内地へ帰還。
◇ 1941年(昭和16年)10月 - 治癒と共に除隊。東京の飯田橋で田中建築事務所を開設。
◇ 1942年(昭和17年)3月 - 事務所の家主の娘、坂本はなと結婚。
◇ 1942年(昭和17年)11月 - 長男正法が誕生(1947年9月、4歳で死亡)
◇ 1943年(昭和18年)12月 - 田中土建工業を設立。理研工業(理化学研究所の産業部門)などの仕事で急成長する。
◇ 1944年(昭和19年)1月 - 長女眞紀子が誕生。
◇ 1945年(昭和20年)8月 - 第二次世界大戦敗戦。滞在していた朝鮮半島から引き揚げる。田中土建工業は戦災を免れる。

◆ 初出馬から首相就任まで

◇ 1946年(昭和21年)4月 - 第22回衆議院総選挙。進歩党公認で出馬するが、次点で落選。
◇ 1947年(昭和22年)4月 - 第23回総選挙。新潟3区から民主党公認で出馬し、当選。
◇ 1948年(昭和23年)5月 - 民主自由党へ参加。
◇ 1948年(昭和23年)10月 - 第2次吉田茂内閣の法務政務次官に就任。
◇ 1948年(昭和23年)12月 - 炭鉱国管疑獄により逮捕。
◇ 1949年(昭和24年)1月23日 - 第24回総選挙に拘置所から獄中立候補し再選される。(1949年1月7日保釈)。
◇ 1950年(昭和25年)4月 - 建築士法案を提出、成立。田中はこの法律による一級建築士資格取得者である。
◇ 1950年(昭和25年)11月 - 長岡鉄道(現越後交通)社長に就任、田中土建工業は閉鎖。
◇ 1951年(昭和26年)6月 - 炭鉱国管疑獄で無罪が確定。
◇ 1952年(昭和27年)6月 - 議員立法により新道路法成立。
◇ 1953年(昭和28年)4月 - 中央工学校の校長に就任。(1972年に退任)
◇ 1954年(昭和29年)5月 - 自由党副幹事長。佐藤栄作との関係が次第に深くなる。
◇ 1955年(昭和30年)3月 - 衆議院商工委員長。
◇ 1955年(昭和30年)11月 - 自由民主党の結党に参加。
◇ 1957年(昭和32年)7月 - 第1次岸信介改造内閣で郵政大臣に就任。
◇ 1961年(昭和36年)7月 - 自由民主党政務調査会長。
◇ 1962年(昭和37年)7月 - 第2次池田勇人内閣の改造で大蔵大臣。第1次佐藤栄作内閣まで留任。
◇ 1965年(昭和40年)6月 - 大蔵大臣を辞任し、自由民主党幹事長に就任。
◇ 1966年(昭和41年)6月 - 社団法人日本空手協会会長に就任。(1968年5月辞任)
◇ 1966年(昭和41年)12月 - 幹事長を辞任。
◇ 1968年(昭和43年)5月 - 自民党都市政策調査会長として「都市政策大綱」を発表。
◇ 1968年(昭和43年)11月 - 幹事長に復帰。
◇ 1969年(昭和44年)4月 - 眞紀子が鈴木直人元衆議院議員の三男、直紀と結婚。直紀は田中姓を名乗る。
◇ 1971年(昭和46年)7月 - 第3次佐藤栄作内閣の改造で通商産業大臣。
◇ 1971年(昭和46年)10月 - 日米繊維交渉が決着。
◇ 1972年(昭和47年) 5月 - 佐藤派から田中派が分離独立。
◇ 1972年(昭和47年)6月 - 「日本列島改造論」を発表。
◇ 1972年(昭和47年)7月5日 - 佐藤栄作が支持した福田赳夫を破り自由民主党総裁に当選。
◇ 1972年(昭和47年)7月6日 - 第1次田中内閣が成立。初の大正生まれの首相であり史上初の新潟県出身の首相である。

◆ 首相在任時

1972年(昭和47年) 9月 - 日米首脳会談後に中華人民共和国を訪問。 首都北京で周恩来首相や毛沢東国家主席と会談。

9月29日、両国の共同声明により日中国交正常化が実現し、日華平和条約の終了を確認。

同日、中華民国が対日国交断絶を発表。

12月 - 第33回総選挙。12月22日、第2次田中内閣発足で挙党一致体制へ。

1974年(昭和49年) 7月 - 第10回参議院選挙。ヘリコプターをチャーターし、栃木県を除く46都道府県に訪れて演説等の選挙活動を行う。大敗をして、伯仲国会になる。

10月 - 月刊誌『文藝春秋』で「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」が掲載。立花隆らが金脈問題を追及する。

12月9日 - 内閣総辞職。椎名裁定により三木内閣発足。首相在職通算日数は886日。

◆ 首相退陣後

1976年(昭和51年) - ロッキード事件発生。アメリカの上院外交委員会で、ロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑が浮上。

7月27日に、5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑により、秘書の榎本敏夫などと共に逮捕される。

逮捕時に自民党を離党し、以後無所属に。8月に保釈。

12月 - 第34回総選挙。トップ当選するが、自民党は大敗し、三木内閣は総辞職、福田赳夫内閣発足。

1979年(昭和54年)10月 - 第35回総選挙。トップ当選するが、自民党は大敗。

1980年(昭和55年)6月 - 第36回総選挙。参議院とのダブル選挙。トップ当選し、自民党も圧勝。

1983年(昭和58年)10月 - ロッキード事件の一審判決。東京地方裁判所から懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を受け、即日控訴。

12月 - 第37回総選挙。22万票の圧倒的支持を集めて当選。直紀も福島3区から初当選。

1984年(昭和59年)12月、田中派内の中堅・若手により、竹下登を中心とした「創政会」の設立準備が進められる。

1985年(昭和60年) 2月7日 - 創政会が発足。

2月27日 - 脳梗塞で倒れ入院。言語障害や行動障害が残り、政治活動は不可能に。

1986年(昭和61年)7月 - 第38回総選挙。トップ当選。田中は選挙運動が全く行えず、越山会などの支持者のみが活動。自民党は圧勝。

1987年(昭和62年) 7月4日 - 竹下が経世会を旗揚げ。田中派の大半が参加。田中派は分裂。

7月29日 - ロッキード事件の控訴審判決。東京高等裁判所は一審判決を支持し、田中の控訴を棄却。田中側は即日上告。

10月 - 竹下が田中邸を訪問。眞紀子に門前払いされる。後に皇民党事件として表面化。

11月 - 竹下内閣が発足。

1989年(平成元年)10月 - 直紀が次期総選挙への田中角栄の不出馬を発表。

1990年(平成2年) 1月24日 - 衆議院解散により政界を引退。衆議院議員勤続43年、当選16回。各地の越山会も解散。

8月 - 中国訪問。中国政府の招待で20年ぶりに訪中し、眞紀子などが同行。

1993年(平成5年) 7月 - 第40回総選挙。眞紀子が自らの選挙区だった新潟3区から無所属で出馬し、初当選。

12月16日 - 75歳で死去。戒名は政覚院殿越山徳栄大居士。

ロッキード事件は上告審の審理途中で公訴棄却となる。

内閣総理大臣を1年以上在任した人物には大勲位菊花大綬章が叙勲される事が慣例となっているが、田中は有罪判決を受けた刑事被告人のまま死去したため勲章は与えられなかった。

特記事項

自民党最大派閥であった田中派(木曜クラブ)を率いつつ、党人政治家でありながら官僚政治家の長所を併せ持った稀有な存在であった。 大正生まれとして初の内閣総理大臣である。

首相在任中には、日中国交正常化や日中記者交換協定、金大中事件、第一次オイルショックなどの政治課題に対応。

日本列島改造論で一世を風靡したが、後にその政策が狂乱物価を招いたことや、金脈問題への批判によって首相を辞職。

さらに、全日空への航空機売込みに絡む収賄事件である「ロッキード事件」で逮捕され自民党を離党した。

首相退任後も田中派を通じて政局に対する影響力を保ち続け、マスコミは「(目白の)闇将軍」の異名を名付けた。

その一方、高等教育を受けていないという学歴で首相まで上り詰めたことから「今太閤」と呼ばれる。「コンピュータ付きブルドーザー」と形容される知識量・実行力で知られた。

東京・神楽坂の芸者、辻和子との間に2男1女がいる(1女まさは夭折、2男は田中の子として認知されている)。彼女らは政界の表舞台には立たず、政治地盤の継承も行わなかった。二男の京は音楽プロデューサーやバー経営者で、後に母子でそれぞれ田中への回想録を出版した。秘書であった佐藤昭子との間の1女は認知されていない田中の子供とされている。

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