追悼の森 =水原弘さん死去=

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歌手  水原 弘 さん死去

1978年(昭和53年)7月5日 死去 享年42歳

水原弘写真 

歌手  水原 弘 さん死去

ヒット曲「黒い花びら」や「君こそわが命」などで知られた歌手の 水原 弘(みずはら ひろし)さんが1978年(昭和53年)7月5日、肝硬変のため福岡県北九州市戸畑区の健和総合病院で死去した。42歳だった。

同年6月24日、北九州市内の宿泊先で吐血し救急搬送されていた。1959年(昭和34年)、ヒット曲「黒い花びら」でレコードデビューし、第1回日本レコード大賞を受賞した。独特の甘い低音で一世を風靡し 一躍スターの座についた。

人物 / 略歴

水原 弘(みずはら ひろし、1935年11月1日 ~ 1978年7月5日)

東京府東京市深川区(現:東京都江東区)出身。歌手

愛称は「おミズ」。一時期、渡辺プロダクションに所属。井上ひろし、かまやつひろしとのトリオで「三人ひろし」と呼ばれていた。

その歌唱力は誰もが認める一流であったが、水原自身の不器用さと、破天荒で無頼派な生き方が周囲の誤解を招いたところは否めず、晩年はヒット曲に恵まれず不遇であった。

◆ 略 歴

東京都立赤坂高等学校商業科卒業。

東京都立赤坂高等学校2年の時に、文化放送主催の『素人ジャズ喉自慢』に優勝。

その後活動していたジャズ喫茶で渡辺美佐にスカウトされ、芸能界入り。

1959年(昭和34年)、「黒い花びら」(作詞:永六輔・作曲:中村八大)でレコード・デビュー。

「黒い花びら」は発売初年に30万枚、総合計57万枚という当時としては大ヒット作となった。

またこの年から始まった第1回日本レコード大賞を「黒い花びら」で受賞。独特の甘い低音で一世を風靡したが、その後数年低迷が続いた。

1967年(昭和42年)、「君こそわが命」(作詞:川内康範・作曲:猪俣公章)で奇跡のカムバックを果たし、第9回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。

1970年(昭和45年)、アース製薬のエアゾール式殺虫剤『ハイアース』のテレビCMに由美かおるとともに出演。水原を起用した同商品のホーロー看板も造られ、街中の各所に張り出された。

1978年(昭和53年)6月24日、北九州市内の宿泊先で吐血し、7月5日、同市戸畑区中原東の健和総合病院で肝硬変(食道静脈瘤破裂説あり)のため42歳の若さで死去した。

特記事項

1999年(平成11年)、「大衆音楽の殿堂」(財団法人古賀政男音楽文化振興財団運営)顕彰歌手に選ばれた。

◆ 水原 弘 / 主要シングル作品

◇ 「黒い花びら/青春を賭けろ」1959年7月
◇ 「黒い落葉/黄昏のビギン」1959年10月
◇ 「恋のカクテル」1960年
◇ 「ホワイト・クリスマス」1960年11月
◇ 「ブルー・クリスマス」1960年11月
◇ 「禁じられた恋のボレロ/涙が燃える」1961年3月
◇ 「月曜日の男」1961年7月
◇ 「素晴らしい人生」1963年1月
◇ 「ど根性一代/男の人生」1965年
◇ 「君こそわが命/沈黙のブルース」1967年2月
◇ 「愛の渚/スイッチョ小唄」1967年11月5日
◇ 「好きと云ってよ」1967年12月25日
◇ 「愛の芽ばえ/七月の子守唄」1968年4月10日
◇ 「慟哭のブルース/恋情」1968年9月21日
◇ 「こころ泣き」1969年3月5日
◇ 「忍びのテーマ」1969年
◇ 「恋のかげろう」1969年7月1日
◇ 「女の爪あと/流れ花」1969年10月1日
◇ 「へんな女/泣くときゃひとり」1970年9月5日
◇ 「今度生れて来るときは」1971年
◇ 「お嫁に行くんだね/マリアの愛」1972年3月5日
◇ 「雪国/こころのブルース」1973年2月5日
◇ 「港はまだ遠い」1974年

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