追悼の森 =植村直己さん死去=

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登山家、冒険家  植村直己 さん死去

1984年(昭和59年)2月13日 死去 享年43歳

植村直己写真  

登山家、冒険家  植村直己 さん死去

冒険家の 植村 直己(うえむら なおみ)さんが1984年(昭和59年)2月13日、死去した。43歳だった。

2月12日、43歳の誕生日にマッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たし、翌2月13日に行われた交信を最後に消息不明となった。その後の捜索でも発見されることはなく、最後に消息が確認された2月13日が命日とされた。1972年(昭和47年)にはイギリス王室から優れた冒険家に贈られるバラー・イン・スポーツ章を受賞した。没後、国民栄誉賞を授与された。

人物 / 略歴

植村 直己(うえむら なおみ、1941年(昭和16年)2月12日 ~ 1984年(昭和59年)2月13日頃(遺体が未発見のため詳細は不明))

兵庫県城崎郡日高町(現:豊岡市)に生まれる。男性登山家、冒険家。

1984年に国民栄誉賞を受賞。

◆ 略 歴

1941年2月12日、兵庫県城崎郡日高町(現在の豊岡市)で、植村藤治郎・梅夫妻の末っ子として生まれる。実家は農家。

兵庫県立豊岡高等学校卒業。

1960年に明治大学農学部農産製造学科に入学、山岳部へ入部してからは登山に没頭。

1964年5月2日大学卒業後、周囲の反対を押し切って横浜港から移民船「あるぜんちな丸」に乗り込み、ロサンゼルスへ向かった。

1965年明治大学のゴジュンバ・カン(チョ・オユーII峰)登頂隊に途中参加、4月23日登頂を果たした。

1966年7月モンブラン、続いて7月25日マッターホルン単独登頂に成功。10月24日アフリカ最高峰キリマンジャロの単独登頂に成功。

続いて1968年には南米最高峰のアコンカグア単独登頂に成功した。

日本山岳会が創立65周年事業としてエベレスト登頂隊派遣を決定し、植村も参加した。1970年5月11日、エベレスト南東稜から登頂に成功する。

同年8月、エベレスト登頂の勢いを借りて再びマッキンリーに挑戦し単独登頂を成功させ、この時点で世界初の五大陸最高峰登頂者となった。

この頃から植村は南極横断への夢を抱き始め、少しずつ実現のための準備を始めた。

1971年8月南極横断距離3000kmを体感するため、同距離となる北海道稚内市から九州鹿児島までの国内縦断を徒歩51日間で実現した。

グリーンランド北部でのエスキモーとの共同生活を経たのち、1974年12月から1976年5月まで1年半かけての北極圏12000kmの犬ぞり探検に成功。

1978年、ナショナルジオグラフィック協会からも資金提供を受け、犬ぞりを操って人類史上初の北極点単独行に成功、日本人として初めてナショナル・ジオグラフィック誌の表紙を飾った。

同年にはグリーンランド縦断にも成功し、これらの業績から1979年、イギリス王室から優れた冒険家に贈られるバラー・イン・スポーツ章を受賞するなど世界的な名声と評価を獲得した。

◆ 遭難 / 死去

1984年2月12日、43歳の誕生日にマッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たしたが、翌2月13日に行われた交信以降は連絡が取れなくなり、消息不明となった。

3日後の2月16日小型飛行機がマッキンリーに行ったところ植村と思われる人物が手を振っているのが確認されたが、天候が悪く、視界も悪かったので救出することができずに見失ってしまった(最終キャンプに大量の装備が残されていたことから、誤認である可能性が高い)。

その後明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれたが発見されることはなく、植村が登頂の証拠として山頂付近に立てた日の丸の旗竿と、最終キャンプ地の跡に残された植村の装備の一部が遺品として発見されるに留まった。

やがて生存の確率は0%とされ、捜索は打ち切られた。現在に至るまで遺体は発見されていない。

このため、最後に植村の消息が確認された1984年(昭和59年)2月13日が植村の命日とされた。43歳没。

1984年4月19日、国民栄誉賞を授与された。

特記事項

1984年6月19日、デンマーク政府により、1978年グリーンランド縦断の際の到達点であった「ヌナタック峰」を、植村の功績を称え新たに「ヌナタック・ウエムラ峰」と呼称することが決定した。

1994年、公子夫人と有志によって、記念館と「植村直己自然学校」が設立された。

◆ 植村直己 / 主な登山 冒険歴

◇ 1965年4月23日 - ゴジュンバ・カン登頂
◇ 1966年7月25日 - モンブラン単独登頂
◇ 1966年10月24日 - キリマンジャロ単独登頂
◇ 1968年2月5日 - アコンカグア単独登頂
◇ 1968年4月20日 - 6月20日 - アマゾン河6,000km単独筏下り
◇ 1970年5月11日 - エベレスト登頂(松浦輝男とともに日本人初登頂)
◇ 1970年8月30日 - マッキンリー(世界初の五大陸最高峰登頂成功)
◇ 1971年1月1日 - グランド・ジョラス北壁完登
◇ 1971年8月30日 - 10月20日 - 日本列島3,000kmを徒歩で縦断
◇ 1972年9月4日 - 1973年2月4日 - グリーンランド北端シオラパルク村のエスキモー宅に単身寄宿し共同生活
◇ 1973年2月4日 - 4月30日 - グリーンランド3,000km犬ゾリ単独行
◇ 1974年12月29日 - 1976年5月8日 - 北極圏12,000km犬ゾリ単独行
◇ 1976年7月 - エルブルスに登頂
◇ 1978年4月29日 - 犬ゾリ単独行で北極点到達(単独到達世界初)
◇ 1978年8月22日 - 犬ゾリ単独行でグリーンランド縦断成功
◇ 1982年8月13日 - 厳冬期アコンカグア第二登達成(共同)
◇ 1984年2月12日 - マッキンリー厳冬期単独登頂(世界初)

◆ 植村直己 / 著書

◇ 『青春を山に賭けて』(毎日新聞社 - 1971年)ISBN 416717801X
◇ 『極北に駆ける』(文藝春秋 - 1974年)ISBN 4167178028
◇ 『北極圏一万二千キロ』文藝春秋 - 1976年)ISBN 4167178036
◇ 『北極点グリーンランド単独行』(文藝春秋 - 1978年)ISBN 4167178044
◇ 『冒険と人生』(聖教新聞社 - 1980年)
◇ 『冒険』(毎日新聞社 - 1980年)ISBN 4-09-411031-3
◇ 『男にとって冒険とは何か:植村直己対談・エッセイ集』(潮出版社 - 1981年)
◇ 『エベレストを越えて』(文藝春秋 - 1982年)ISBN 4167178052
◇ 『植村直己の冒険学校』(文藝春秋 - 1986年)ISBN 4163407804
◇ 『植村直己 妻への手紙』(文藝春秋 - 2002年)ISBN 4-16-660275-6
◇ 植村直己著,文藝春秋編『植村直己 挑戦を語る』(文藝春秋 - 2004年)ISBN 4-16-660390-6

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