追悼の森 =佐藤栄作元首相死去=

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第61~63代 内閣総理大臣  佐藤栄作 さん死去

1975年(昭和50年)6月3日 死去 享年74歳

佐藤栄作写真  

第61・62・63代 内閣総理大臣  佐藤栄作 さん死去

7年8ヶ月にわたる長期政権を務めた 佐藤 栄作(さとう えいさく)元首相が1975年(昭和50年)6月3日、脳溢血のため東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院で死去した。74歳だった。

1964年(昭和39年)11月、池田裁定により自民党後継総裁に指名され 内閣総理大臣に就任した。以後、1972年(昭和39年)7月6日の内閣総辞職まで沖縄返還を花道として7年8ヶ月に渡る長期政権を務めた。1975年(昭和50年)5月19日、築地の料亭「新喜楽」で 脳溢血で倒れ一度も覚醒することなく死去した。

人物 / 略歴

佐藤 榮作(さとう えいさく、1901年(明治34年)3月27日 ~ 1975年(昭和50年)6月3日)

山口県熊毛郡田布施町に生まれる。報道などでは新字体で佐藤 栄作(さとう えいさく)と表記される場合も多い。

位階は従一位。勲等は大勲位。

内閣官房長官(第4代)、衆議院議員(11期)、郵政大臣(第3代)、電気通信大臣(第3代)、建設大臣(第7代)、北海道開発庁長官(第4・21・22代)、大蔵大臣(第64代)、通商産業大臣(第22代)、科学技術庁長官(第12・13代)、内閣総理大臣(第61・62・63代)などを歴任した。

第56・57代内閣総理大臣岸信介の実弟にあたる。 ノーベル平和賞を受賞し、衆議院議員永年在職表彰を受彰している。

◆ 略 歴

現在の山口県熊毛郡田布施町に酒造業・佐藤秀助、茂世(もよ)の三男として生まれた。

父・秀助は山口県庁に奉職したが、1898年(明治31年)頃、勤めを辞め、酒造業を始めた。
地元の人たちは佐藤家の市郎、信介、栄作の兄弟について「頭は上から、度胸は下から」と評している。

◆ 学生時代

◇ 1907年(明治40年)小学校に入学。
◇ 1921年(大正10年)4月東京帝国大学法学部法律学科(独法)入学。
◇ 1923年(大正12年)12月高等文官試験(行政)合格。
◇ 1924年(大正13年)4月東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業。

◆ 就 職

当時満鉄の理事をしていた親戚の松岡洋右が鉄道大臣の小松謙次郎に頼んでいたので鉄道省へは順調に採用された。

1924年(大正13年)5月、鉄道省に入省。以後、鉄道畑を歩いたが、地方勤務が長かったり、左遷を経験したりと、革新官僚として早くから注目された兄・信介と比較すると曲折ある前半生だった。

1944年(昭和19年)4月、大阪鉄道局長となる。

1948年(昭和23年)退官し、民主自由党に入党した。

◆ 政 歴

遠縁に当たる吉田茂首相とは早くから親交があり、第2次吉田内閣で非議員ながら入閣。池田勇人と共に「吉田学校」の代表格となる。

1949年総選挙に当選してキャリアを重ねるも、造船疑獄が発覚して逮捕寸前になった際に、犬養が指揮権発動したことにより逮捕を免れた。

その後、政治資金規正法違反で在宅起訴されるが、「国連恩赦」で免訴となる。

鳩山一郎引退後に自民党へ入党。兄の岸信介の片腕として党総務会長に就任、三木武夫政務調査会長と共に岸政権を支えた。

◆ 内閣総理大臣

1964年(昭和39年)7月、佐藤は池田勇人の三選阻止を掲げ自民党総裁選挙に出馬した。

党人派の支持を固めた池田が過半数をわずかに超え辛勝した。

同年11月、池田の病気退陣に伴い、実力者による党内調整会談を経て、池田裁定により自民党後継総裁に指名され、内閣総理大臣に就任した。

◆ 退 陣

1970年(昭和45年)の自民党総裁4選については、自民党内部に政権の長期化を懸念し、勇退による福田赳夫への禅譲論の声もあった。

佐藤は「沖縄返還の筋道をつける」事を大義名分に、三木武夫を破り現在まで唯一・最多の自民党総裁4選を果たした。

しかし、4選以降は、佐藤自身が次は立候補しないことを米国からの帰途、早々と言明してしまったため、「ポスト佐藤」を巡っての後継争いが早くから激化した。

佐藤派の大番頭だった田中が派の大部分を掌握して分派、田中派を結成し(1972年5月)、総裁公選も田中が宿敵福田を破って勝利した(1972年7月5日)。

佐藤政権は、田中を首班とする内閣に政権を引き渡すべく、同年7月6日に内閣総辞職し、予定通り沖縄返還を花道として7年8ヶ月に渡る長期政権を終えた。

◆ 総理退任後

1974年(昭和49年)晩秋、田中首相の日米にまたがる金脈問題が騒がれ始める中、佐藤は非核三原則やアジアの平和への貢献を理由としてノーベル平和賞を日本人で初めて受賞した。

1975年(昭和50年)5月19日、築地の料亭「新喜楽」で、財界人らとの会合において脳溢血で倒れる。

寛子夫人の強い意向で4日間「新喜楽」で容態を見た後、東京慈恵会医科大学附属病院に移送されたが一度も覚醒することなく昏睡を続けた後、6月3日に死去。74歳だった。

特記事項

1975年6月16日、日本武道館で大隈重信以来の「国民葬」が行なわれた。葬儀委員長は、田中角栄。遺族代表は兄の岸信介だった。

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