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喜劇俳優  横山エンタツ さん死去

1971年(昭和46年)3月21日 死去 享年74歳

横山エンタツ写真  

喜劇俳優  横山エンタツ さん死去

喜劇俳優、漫才師として活躍した 横山 エンタツ(よこやま エンタツ)さんが1971年(昭和46年)3月21日、脳軟化症ため死去した。74歳だった。

1914年(大正3年)、新派綾田五郎一座に入り初舞台を踏む。1939年(昭和14年)に吉本興業に入社し 花菱アチャコとコンビを結成 多くの新作を生んだ。中でも「早慶戦」は爆発的にヒットし、それまでの古典的な舞台芸能である「色物萬歳」に代わる近代漫才の基礎となり 現在の漫才スタイルの元祖といえる。

人物 / 略歴

横山 エンタツ(よこやま エンタツ、1896年(明治29年)4月22日 ~ 1971年(昭和46年)3月21日)

兵庫県三田市横山に生まれる。本名は石田 正見(いしだ まさみ)。漫才師、俳優。

花菱アチャコとのコンビ(エンタツ アチャコ)で、それまでの古典的な舞台芸能である「色物萬歳」に代わり、「しゃべくり漫才」へのムーブメントを作った。現在の漫才スタイルの元祖と言える。

◆ 略 歴

兵庫県三田市横山に生まれ、父は医者であった。

旧制兵庫県立伊丹中学校(現在の兵庫県立伊丹高等学校)を中退し、家出し、職を転々とする。

1914年、新派綾田五郎一座に入り初舞台。

1919年花菱アチャコと一座を組み、幕間に「しゃべくり漫才」を試演するが不評に終わる。しかし1922年、本格的に漫才を始め、中村種春とコンビを組んで東京で活躍した。

1923年夏に横浜の朝日座と契約し漫才、民謡、安来節の連中らと合流。

1928年頃から、東京浅草蔵前にあった煙突に似ていた事から「横山エンタツ」を名乗った。

1930年に、吉本興業に入社し、花菱アチャコとコンビを組む。漫才師として初めて背広姿で舞台にあがり、当時人気のあった東京六大学野球からネタをとった『早慶戦』などの「しゃべくり漫才」で人気を博す。

1934年に新橋演舞場に出演し、漫才は落語と並ぶ地位を得たと言われる。

1941年、「爆笑エンタツ劇団」を旗揚げし、全国を巡業する。

戦後はNHKで『気まぐれショーボート』(1950年~1952年)、『エンタツちょびひげ漫遊記』(1952年~1953年)、『エンタツの名探偵』(1953年~1954年)など、長期にわたってラジオ番組のレギュラーを務める。

1969年、大阪市から市民表彰を受ける。

1971年(昭和46年)3月21日、脳軟化症ため死去した。74歳だった。

特記事項

長男は関西テレビの元プロデューサー。長男の夫人は吉本新喜劇の中山美保。二男は吉本興業に所属する俳優の花紀京。横山ノックは弟子である。

漫才作家 秋田實の良き相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。吉本新喜劇初期の出演者でもある。

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