追悼の森 =春日八郎さん死去=

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歌手  春日八郎 さん死去

1991年(平成3年)10月22日 死去 享年67歳

春日八郎写真  

歌手  春日八郎 さん死去

大ヒット曲「別れの一本杉」や「お富さん」などので知られる演歌歌手の 春日 八郎(かすが はちろう)さんが1991年(平成3年)10月22日、肝硬変のため死去した。67歳だった。

1948年(昭和23年)キングレコードの第一回歌謡コンクールに合格し、歌川俊の名で準専属歌手となった。1952年(昭和27年)、「赤いランプの終列車」が大ヒット。その後、「お富さん」「別れの一本杉」などの望郷歌謡をたて続けにヒットさせ 「演歌」という新天地を築いた。

人物 / 略歴

春日 八郎(かすが はちろう、1924年10月9日 ~ 1991年10月22日)

福島県河沼郡会津坂下町塔寺出身。本名は渡部 実 (わたべ みのる)。歌手。

『赤いランプの終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。

◆ 略 歴

歌手を目指して上京。東洋音楽学校(現:東京音楽大学)を卒業。

1948年、キングレコードの第1回歌謡コンクールに合格し、歌川俊の名で準専属歌手となった。

◆ 演歌歌手の第一人者

準専属の歌手は無給だったため、進駐軍のPX商品を歌謡関係者に売る闇商売に手を出していたこともあった。そんな下積みが3年続く。

作曲家江口夜詩の家に毎日のように通い、掃除をしたり肩を揉んだりしながら、曲を作ってもらえるよう願い続けた。

ようやく新曲『赤いランプの終列車』を作曲してもらうことになった。

当時無名の自分が売れるわけは無いと、ヒットしなかった場合を想定して新聞社に入ろうと、履歴書まで書いていたという。

曲が作られてから1年後の1952年に、『赤いランプの終列車』は発売され大ヒット。このことによって活動の場が広がる。

1954年に『お富さん』は、発売3か月で30万枚、最終的には125万枚を売り上げる大ヒットとなり、同年末の第5回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。

また、1955年には『別れの一本杉』(60万枚の大ヒット、まだ売り出し中の船村徹を有名にさせた作品でもある)とそれまでの流行歌とは質の異なる望郷歌謡をたて続けにヒットさせ、流行歌の衰退期において「演歌」という新天地を築いた。

1967年には、個人事務所として春日プロモーション(現:春日プロ)を創立した。

八郎の直後に同じキングレコードから三橋美智也、更には三波春夫、村田英雄、島倉千代子らが登場。

美空ひばりも演歌を歌い出し、後に演歌の女王と称されることとなる。

1960年代には北島三郎、都はるみ等が台頭し、演歌の全盛期をむかえる。

このような演歌台頭の流れから、八郎を演歌歌手の第一人者と見る向きが多く、音楽ジャンルとして演歌が定着すると、長年にわたり演歌界をリードした。

◆ 晩 年

晩年の1988年には静岡県の熱海にて親交の深かった三橋、村田らと共に「三人の会」を結成。三人揃ってのチャリティー・コンサートを開催するなど、低迷した演歌の活性化に力を注いでいた。

しかし、「三人の会」結成からわずか3年後の1991年10月22日、肝硬変のため死去。67歳没だった。

特記事項

デビュー後に吹き込んだ楽曲は通算千数百曲。レコードの総売上は7000万枚を超す。

故郷である会津坂下町への想いも強く、幼少時に通った町立八幡小学校にピアノを寄贈し校歌を作曲、町立第二中学校の校歌、応援歌も作曲した。

また会津坂下町民歌、会津坂下音頭を作曲し自ら歌いレコーディングするなど町の発展に尽くした。

会津坂下町も八郎の功績をたたえ、同町の杉地区(一本杉と地蔵が実在する)に「春日八郎記念公園・おもいで館」が建設された。

また、2003年には会津坂下駅前の広場に春日の銅像を建立し、さらに『赤いランプの終列車』の歌碑も建立された。

◆ 春日八郎 / 受賞歴

◇ 文化庁芸術祭音楽部門大賞(1973年)
◇ 紫綬褒章
◇ 勲四等旭日章

◆ 春日八郎 / 主な代表曲

◇ 赤いランプの終列車(1952年) - 作詞:大倉芳郎/作曲:江口夜詩
◇ 涙のジャガタラ船(1953年) - 作詞:朝倉芳美/作曲:江口夜詩
◇ 雨降る街角(1953年) - 作詞:東條寿三郎/作曲:吉田矢健治
◇ 街の燈台(1953年) - 作詞:高橋掬太郎/作曲:吉田矢健治
◇ ギター流し(1953年) - 作詞:矢野亮/作曲:吉田矢健治
◇ 小雨の駅にベルが鳴る(1954年) - 作詞:高橋菊太郎/作曲:江口夜詩
◇ 博多流し(1954年) - 作詞:高橋菊太郎/作曲:江口夜詩
◇ お富さん(1954年) - 作詞:山崎正/作曲:渡久地政信
◇ 裏町夜曲(1954年) - 作詞:杉江晃/作曲:山口進
◇ 瓢箪ブギ(1954年) - 作詞:高橋掬太郎/作曲:江口夜詩
◇ 青い月夜だ(1954年) - 作詞:矢野亮/作曲:吉田矢健治
◇ 男の舞台(1955年) - 作詞:横井弘/作曲:中野忠晴
◇ 別れの一本杉(1955年) - 作詞:高野公男/作曲:船村徹
◇ 流転子守唄(1955年) - 作詞:東條寿三郎/作曲:吉田矢健治
◇ 浮草の宿(1956年) - 作詞:服部鋭夫/作曲:江口夜詩
◇ 月の嫁入り舟(1956年) - 作詞:横井弘/作曲;吉田矢健治
◇ 浮草の宿(1956年) - 作詞:服部鋭夫/作曲:江口夜詩
◇ 別れの波止場(1956年) - 作詞:藤間哲郎/作曲:真木陽
◇ あん時ゃどしゃ降り(1957年) - 作詞:矢野亮/作曲:佐伯としを
◇ 母の便り(1957年) - 作詞:矢野亮/作曲:真木陽
◇ 故郷は遠い空(1957年) - 作詞:東條寿三郎/作曲:吉田矢健治
◇ 苦手なんだよ(1957年) - 作詞:矢野亮/作曲:林伊佐緒
◇ ごめんよかんべんナ(1957年) - 作詞:伊吹とおる/作曲:吉田矢健治
◇ 故郷は遠い空(1958年) - 作詞:東條寿三郎/作曲:吉田矢健治
◇ 別れの燈台(1958年) - 作詞:高橋掬太郎/作曲:吉田矢健治
◇ 海猫の啼く波止場(1958年) - 作詞:横井弘/作曲:林伊佐緒
◇ 居酒屋(1958年) - 作詞:横井弘/作曲:鎌多俊与
◇ 山の吊橋(1959年) - 作詞:横井弘/作曲:吉田矢健治
◇ おケイちゃん(1959年) - 作詞:横井弘/作曲:塩谷純一
◇ 東京の蟻(1959年) - 作詞:横井弘/作曲:中野忠晴
◇ あれから十年たったかなァ(1959年) - 作詞:矢野亮/作曲:渡部実
◇ 足摺岬(1959年) - 作詞:高橋掬太郎/作曲:吉田矢健治
◇ 長良川旅情(1961年) - 作詞:服部鋭夫/作曲:山口俊郎
◇ 下町坂町泣ける町(1961年)
◇ 風林火山の唄(1962年) - 作詞:沢登初義/作曲:古屋丈晴
◇ 長崎の女(ひと)(1963年) - 作詞:たなかゆきを/作曲:林伊佐緒
◇ ロザリオの島(1964年) - 作詞:たなかゆきを/作曲:林伊佐緒
◇ 雪国の女(1964年) - 作詞・作曲:遠藤実
◇ 大阪の灯(1965年) - 作詞:たなかゆきを/作曲:西脇稔和
◇ 波止場で待ちナ(1966年) - 作詞:下條ひでと/作曲:西脇稔和
◇ 花かげの恋(1967年)
◇ 浅草人情(1967年)
◇ 倉敷の女(1968年)
◇ たそがれの砂丘(1968年) - 作詞:たなかゆきを/作曲:平尾昌晃
◇ なみだ町(1969年)
◇ 会津の女(1969年)
◇ 雪国の女(1973年)
◇ 北の酒場(1976年)
◇ 或る女(1976年)
◇ さよなら宗谷(1978年)
◇ 別れた故郷(1980年) - 作詞:中山大三郎/作曲:船村徹
◇ ふたりの坂道(1981年)
◇ 美濃の女(1982年)
◇ 矢切の渡し(1983年)
◇ 藤野とし恵とのデュエット
◇ しのぶ宿(1985年)
◇ 旅人(1990年)

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