追悼の森 =池田勇人元首相死去=

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第58~60代 内閣総理大臣  池田勇人 さん死去

1965年(昭和40年)8月13日 死去 享年65歳

池田勇人写真  

第58・59・60代 内閣総理大臣  池田勇人 さん死去

第58~60代 内閣総理大臣 池田 勇人(いけだ はやと)元首相が1965年(昭和40年)8月13日、喉頭癌(こうとうがん)の術後肺炎のため東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去した。65歳だった。

大蔵官僚を経て、終戦後まもなく政界入りした。吉田茂の右腕として頭角をあらわし 吉田内閣の経済運営、安全保障政策に深く関与した。その後、自民党の宏池会の領袖として一派をなし、1960年(昭和35年)に第58代内閣総理大臣に就任した。1964年9月に喉頭癌が見つかり、同年10月25日に退陣を表明していた。

人物 / 略歴

池田 勇人(いけだ はやと、1899年(明治32年)12月3日 ~ 1965年(昭和40年)8月13日)

広島県豊田郡吉名村(現:竹原市)に生まれる。大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。

大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・7・19代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長、内閣総理大臣(第58・59・60代)などを歴任した。

◆ 略 歴

広島県豊田郡吉名村(現:竹原市)に父・池田吾一郎、母・うめの二男として生まれた。

旧制忠海中学校、旧制第五高等学校を経て京都帝国大学法学部卒業。

この時期の高等学校受験は「総合共通選抜制」と呼ばれる共通試験制度によって行われていたため、池田は試験には合格したが希望していた旧制第一高等学校ではなく五高に回された。

大学も東京帝国大学には入れず京大に進学したが、ここでは成績はトップクラスだった。

◆ 大蔵省時代

1925年(大正14年)に大蔵省へ入省した。

入省後は地方を廻り、1927年(昭和2年)から函館税務署長、1929年(昭和4年)から宇都宮税務署長を務める。

しかし宇都宮税務署長の時に落葉状天疱瘡を発症し、病気はなかなか治らず、1931年(昭和6年)2年間の休職期間が切れたため大蔵省を退職することとなる。

生死を彷徨った5年間には、直子夫人との死別、看病に献身した遠縁の大貫満枝との再婚といった出来事もあり、長い闘病生活は池田の人生観に大きな影響を与えた。

1934年(昭和9年)に奇跡的に病気が完治。同年12月に新規採用という形で玉造税務署長として復職した。

東京財務局長を経て、1945年(昭和20年)2月に主税局長となり、そのまま終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)2月、第1次吉田内閣で石橋湛山大蔵大臣の下、主計局長だった野田卯一を飛び越す形で大蔵次官に就任。

◆ 政治家として

1948年(昭和23年)に大蔵省を退官し、翌1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙に出馬し初当選を果たす。

選挙後の同年2月16日、1年生議員でありながら、吉田茂が党内の反対を押し切って第3次吉田内閣の大蔵大臣に抜擢。

吉田政権は、その後内閣改造を計3回行ったが、いずれの内閣改造でも池田は大蔵大臣に留まった。

なお、1950年(昭和25年)2月17日から同年4月11日まで通商産業大臣を兼務した。

1952年10月30日に発足した第4次吉田内閣では、通商産業大臣と経済審議庁長官を兼務し入閣した。

1957年には自らの政策集団・派閥である宏池会を結成した。

◆ 内閣総理大臣

60年安保で岸政権が倒れると、1960年(昭和35年)7月14日に自由民主党総裁選挙で、自民党第4代総裁に就任した。5日後の7月19日、内閣総理大臣に就任し、第1次池田内閣が発足した。

「所得倍増」をスローガンに掲げて経済重視の内政主義を打ち出した。

政権発足早々の同年10月12日、日比谷公会堂で行われた自由民主党、民社党、日本社会党の党首立会演説会の壇上、社会党の浅沼稲次郎委員長が暴漢によって目前で刺殺される浅沼稲次郎刺殺事件が起こった。

◇ 1961年(昭和36年)
・4月17日に来日した『ララミー牧場』・主人公ジェフ役のロバート・フラーを招く。
・6月12日、農業基本法公布。
・7月18日、内閣改造。第2次池田内閣第1次改造内閣。

◇ 1962年(昭和37年)
・7月14日、自民党総裁選再選。
・7月18日、内閣改造。第2次池田内閣第2次改造内閣。

◇ 1963年(昭和38年)
・7月18日、内閣改造。第2次池田内閣第3次改造内閣。
・11月5日、郡山市で遊説中、右翼に襲われる。
・12月9日、第3次池田内閣発足。

◇ 1964年(昭和39年)
・7月18日、内閣改造。第3次池田内閣改造内閣。

1964年(昭和39年)9月9日、国立がんセンターへ喉頭癌の治療のため入院。すでに癌は相当進行していたといわれる。病名は本人に告知されることなく、「前がん症状」と発表された。

東京オリンピック閉会式の翌日の10月25日に退陣を表明し、11月9日に後継総裁として佐藤栄作を指名した。

その年の12月に退院するが、翌1965年(昭和40年)7月29日、東京大学医学部附属病院に再入院する。

1965年(昭和40年)8月4日に手術を受けるものの、8月13日、術後肺炎により死去した。65歳没。

特記事項

首相としては所得倍増計画を打ち出し、日本の高度経済成長の進展に最も大きな役割を果たした政治家である。また、19世紀生まれの最後の首相でもある。

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