追悼の森 =岸信介元首相死去=

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第56~57代 内閣総理大臣  岸 信介 さん死去

1987年(昭和62年)8月7日 死去 享年90歳

岸信介写真  

第56~57代 内閣総理大臣  岸 信介 さん死去

第56~57代 内閣総理大臣 岸 信介(きし のぶすけ)元首相が1987年(昭和62年)8月7日、死去した。90歳だった。

戦後にA級戦犯容疑で逮捕、収監されるも不起訴となり、1942年(昭和17年)第21回衆議院議員総選挙で初当選した。1957年(昭和32年)に第56代内閣総理大臣に就任。1979年(昭和54)10月7日の衆議院解散を機に政界を引退するも、死ぬまで自民党内で影響力は衰えを見せず 事実上の安倍派(福田派)の元老であり、フィクサー、黒幕、昭和の妖怪とも呼ばれた。

人物 / 略歴

岸 信介(きし のぶすけ、1896年〈明治29年〉11月13日 ~ 1987年〈昭和62年〉8月7日)

山口県吉敷郡山口町八軒家(現在の山口市)に生まれる。 旧姓は佐藤(さとう)。政治家、官僚。元衆議院議員。 位階は正二位、勲等は大勲位。

満州国総務庁次長、商工大臣(第24代)、自由民主党幹事長(初代)、外務大臣(第86・87代)、内閣総理大臣(第56・57代)などを歴任した。

◆ 略 歴

山口県吉敷郡山口町八軒家(現在の山口市)に、山口県庁官吏であった佐藤秀助と茂世(もよ)夫妻の第5子(次男)として生まれる。

数え年3歳になった頃、父親の秀助は勤めをやめて、郷里に帰り、本家のある田縫のすぐそばの岸田で造り酒屋を営んだ(佐藤家は酒造の権利を持ち、母が分家するまでは他家に貸していた)。

◆ 学生時代

岡山市立内山下小学校から岡山中学校に進学したが、山口に戻り、山口中学(戦後の山口県立山口高等学校)に転校。

中学3年の時、婿養子だった父の実家・岸家の養子となる。

1914年(大正3年)、山口中学を卒業。第一高等学校入学。

1917年(大正6年)、東京帝国大学法学部に入学。

1920年(大正9年)7月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。農商務省に入省した。

◆ 農商務官僚(商工官僚)時代 ~ 満州国時代

農商務省へ入ると、当時商務局商事課長だった同郷の先輩、伊藤文吉(元首相伊藤博文の養子)から「外国貿易に関する調査の事務を嘱託し月手当四十五円を給す」という辞令をもらった。同期には平岡梓(作家・三島由紀夫の父)、三浦一雄、吉田清二などがいたが、入って間もなく、岸は同期生およそ20名のリーダー格となった。

1933年(昭和8年)2月に商工大臣官房文書課長、1935年(昭和10年)4月には商工省工務局長に就任。

1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。

1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には 総務庁次長に就任。

同時に、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。

◆ 東條内閣の閣僚時代

1939年(昭和14年)10月に帰国して商工次官に就任する。

1941年(昭和16年)10月に発足した東條内閣に商工大臣として入閣。 太平洋戦争中の物資動員の全てを扱った。

1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙で当選し、政治家としての一歩を踏み出した。

1943年(昭和18年)、戦局悪化への対応として商工省が廃止され軍需省へと改組。軍需大臣は東條首相の兼務となり、岸は軍需次官(無任所国務相兼務)に就任。半ば降格に近い処遇により、東條との関係に溝が生じた。

1945年(昭和20年)3月11日、岸は翼賛政治会から衣替えした親東條の大日本政治会には加わらず、反東條の護国同志会を結成した。

◆ 戦犯容疑者から復権まで

1945年(昭和20年)8月15日に太平洋戦争が終結した後、A級戦犯容疑者として逮捕された。

東京の巣鴨拘置所に収監されたが、冷戦の激化に伴いアメリカの対日政策が大きく転換(逆コース)。日本を「共産主義に対する防波堤」と位置づけ、旧体制側の人物を復権させたため、戦犯不起訴となる。

東條ら7名の処刑の翌日の1948年(昭和23年)12月24日に釈放、公職追放となる。

◆ 保守合同

1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約の発効にともない公職追放解除となり、4月に日本再建連盟を設立、会長に就任した。

1953年(昭和28年)、自由党に入党、公認候補として衆議院選挙に当選したが、1954年(昭和29年)に吉田茂首相の「軽武装、対米協調」路線に反発したため自由党を除名された。

11月に鳩山一郎と共に日本民主党を結成し幹事長に就任。かねて二大政党制を標榜していた岸は、鳩山一郎や三木武吉らと共に、自由党と民主党の保守合同を主導。

1955年(昭和30年)11月に新たに結成された、自由民主党の初代幹事長に就任した。かくして「55年体制」が始まる。

◆ 岸内閣誕生

1956年(昭和31年)12月14日、自民党総裁に立候補するが7票差で石橋湛山に敗れた(岸251票、石橋258票)が、外務大臣として石橋内閣に入閣した。

2か月後に石橋が脳軟化症に倒れ、首相臨時代理を務めた。

巣鴨プリズンに一緒にいた児玉誉士夫の金と影響力を背景に石橋により後継首班に指名された。

石橋内閣を引き継ぐ形の「居抜き内閣」で前内閣の全閣僚を留任、外相兼任のまま第56代内閣総理大臣に就任した。

1958年(昭和33年)4月25日に衆議院を解散。5月22日の総選挙で勝利し(自民党は絶対安定多数となる287議席を獲得)、6月12日に第57代内閣総理大臣に就任し、第2次岸内閣が発足した。

◆ 安保改定

岸の総理大臣在任中の最大の事項は、日米安全保障条約・新条約の調印・批准と、それを巡る安保闘争である。

1960年(昭和35年)1月に全権団を率いて訪米した岸は、アイゼンハワー大統領と会談し、新安保条約の調印と同大統領の訪日で合意した。

新条約の承認をめぐる国会審議は、安保廃棄を掲げる社会党の抵抗により紛糾。安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられたが、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、昭和天皇が公布した。

新安保条約の批准書交換の日の6月23日、岸は閣議にて辞意を表明、7月15日、混乱の責任を取る形で岸内閣は総辞職した。

岸は「安保改定がきちんと評価されるには50年はかかる」のいう言葉を残している。

岸が取った一連の行動については、文芸評論家の福田和也などが「本物の責任感と国家戦略を持った戦後唯一の総理」として高く評価している。

◆ 晩 年

政財界に幅広い人脈を持ち、愛弟子の福田赳夫と田中角栄による自民党内の主導権争い(角福戦争)が勃発した際も、福田の後見人として存在感を示した。

1979年(昭和54年)10月7日の衆議院解散を機に、地盤を吹田あきらに譲り、政界引退。

晩年は御殿場の別邸で悠々自適の生活を送る一方、保守論壇の大立者として、1976年(昭和51年)10月には“民主主義・自由主義体制を尊重しつつ、政党・派閥を超えて、国家的課題を検討・推進する”政治団体「時代を刷新する会」を設立。

死ぬまで自民党内で影響力は衰えを見せず、事実上の安倍派(福田派)の元老であり、フィクサー、黒幕、昭和の妖怪とも呼ばれた。

1987年(昭和62年)8月7日、死去。90歳没。 墓は山口県田布施町及び静岡県御殿場市の冨士霊園。

特記事項

第61 ~ 63代内閣総理大臣 佐藤栄作は実弟。第90代内閣総理大臣安倍晋三は外孫である。

◆ 岸 信介 / 栄 典

◇ 1967年(昭和42年)4月29日:勲一等旭日桐花大綬章
◇ 1987年(昭和62年)8月7日:大勲位菊花大綬章

◆ 岸 信介 / 著 書

◇ 『現代法学全集(23) 保険業法・取引所法・税法・担保附社債信託法』(南正樹・星野直樹・栗栖赳夫共著、日本評論社、1928年)
◇ 『日本戦時経済の進む途』(研進社、1942年)
◇ 『岸信介の回想』(文藝春秋、1981年) ※ 矢次一夫、伊藤隆との鼎談、後半に資料編として「巣鴨日記」がある。
◇ 『二十世紀のリーダーたち』(サンケイ出版、1982年)
◇ 『岸信介回顧録――保守合同と安保改定』(廣済堂出版、1983年、ISBN 433150171X)
◇ 『我が青春――生い立ちの記・思い出の記』(廣済堂出版、1983年)
◇ 『耐雪―岸信介幽窗の詩歌集』(山口県)田布施町郷土館 研究紀要別冊 2001年
◇ 『岸信介証言録』(原彬久によるインタビュー、毎日新聞社、2003年)
◇ 『保守政権の担い手 私の履歴書』 日本経済新聞出版社〈日経ビジネス人文庫〉、2007年、(文庫再刊)
◇ 『青年に望む』 自民党発行のブックレット
◇ 『日本の進路と安保条約』 自民党発行のブックレット

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