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バレーボール全日本女子監督 大松博文 さん死去

1978年(昭和53年)11月24日 死去 享年57歳

大松博文写真  

バレーボール全日本女子チーム監督 大松博文 さん死去

大松 博文(だいまつ ひろぶみ)さんが1978年(昭和53年)11月24日午後2時、心筋梗塞のため岡山県井原市の井原病院で死去した。57歳だった。

日紡貝塚女子バレーボール監督として スパルタ練習でチームを鍛え上げた。「回転レシーブなどを考案し、その猛烈な訓練で「鬼の大松」と呼ばれながら、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで優勝に導き、チームの女子選手たちを「東洋の魔女」と呼ばせるに至った。岡山県井原市の旅館「一新」に投宿中の同月23日午後11時半ごろ、突如心筋梗塞の発作に襲われ救急搬送されていた。

人物 / 略歴

大松 博文(だいまつ ひろぶみ、1921年2月12日 ~ 1978年11月24日)

香川県綾歌郡宇多津町出身。東京オリンピックでのバレーボール全日本女子チーム監督、元参議院議員(自由民主党、1期)。

◆ 略 歴

坂出商業学校から関西学院大学(高等商業部)に進学したのち、ニチボーに入社。

1941年(昭和16年)、陸軍に召集され、中国・ビルマ・ラバウルを転戦する。

「白骨街道」とも呼ばれる悲惨な戦場からの数少ない生還者の一人でもある。これら経験が、彼の性格を大きく変える出来事となった。

1954年(昭和29年)、ニチボー貝塚女子バレーボール部監督に就任。「鬼の大松」と呼ばれるほどの徹底したスパルタ式のトレーニングは世間を騒がせるほどであった。

1958年(昭和33年)には、当時の日本国内の四大タイトル(全日本総合、全日本実業団、都市対抗、国民体育大会)を独占した。

1961年(昭和36年)、ヨーロッパ遠征での全勝により、チームを「東洋の魔女」と呼ばれるほどの成長を遂げさせた。

1962年(昭和37年)、第4回女子世界選手権で優勝。

1964年(昭和39年)、東京オリンピックでは、全日本女子バレーボールチームを、「回転レシーブ」に象徴される守備を重視した戦法により金メダルに輝かせる。

選手への『おれについてこい!』『なせば成る』(上杉鷹山の言から引用。)などの名文句からは著書を生み出し、『おれについてこい!』は同タイトルで映画化もされた。

1964年(昭和39年)末、ニチボーを退社。

1965年(昭和40年)、周恩来の招きにより中国を訪問し、中国女子バレーチームの礎に貢献した。

電通に入社したのち、1968年(昭和43年)、第8回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党公認で立候補し、初当選。

1974年(昭和49年)、再選を目指して第10回参議院議員通常選挙全国区に自由民主党公認で立候補するも、落選。

その後は、再びバレーボール界に戻り、各地で指導活動を行う他、イトーヨーカドーバレーボール部の創部に参加、技術顧問を務めた。

その直後の1978年(昭和53年)、心筋梗塞により、57歳で他界。

特記事項

2000年(平成12年)、アメリカのスポーツ記念館にて、バレーボール殿堂入りとなる。

香川県宇多津町の名誉町民を受けており、また同町では大松の名前を冠する「大松杯バレーボール大会」が開催されている。

◆ 大松博文 / 著書

◇ 『おれについてこい!』(講談社 1963年)
◇ 『なせば成る』(講談社 1964年)

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