追悼の森 =鳩山一郎元首相死去=

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第52~54代 内閣総理大臣  鳩山一郎 さん死去

1959年(昭和34年)3月7日 死去 享年76歳

鳩山一郎写真  

第52~54代 内閣総理大臣  鳩山一郎 さん死去

第52~54代 内閣総理大臣を務めた 鳩山 一郎(はとやま いちろう)元首相が1959年(昭和34年)3月7日、死去した。76歳だった。

ワンマンと呼ばれた吉田茂が政権を降りた後、1954年(昭和29年)12月10日の第1次鳩山内閣の発足から、1956年12月23日の第3次鳩山内閣総辞職まで内閣総理大臣を務めた。アメリカ中心の外交から転換し 懸案であった日ソ国交回復を成し遂げた。また、原子力基本法を成立させ 後の原子力発電時代の礎を築いた。

人物 / 略歴

鳩山 一郎(はとやま いちろう、1883年(明治16年)1月1日 ~ 1959年(昭和34年)3月7日)

東京市牛込区東五軒町に生まれる。政治家。弁護士。位階は正二位。勲等は大勲位。

第52・53・54代内閣総理大臣。

◆ 略 歴

1912年(大正元年)に東京市議会議員に当選。1915年(大正4年)に衆議院議員に当選して以来、政党政治家として活動。

1954(昭和29) ~ 1956(同31)年の首相在任中、保守合同を成し遂げて自由民主党の初代総裁となり、日本とソビエト連邦の国交回復を実現した。

◆ 戦前の事績

戦前は立憲政友会の議員として活躍。

軍縮問題を内閣が云々することは天皇の統帥権の干犯に当たるとして濱口内閣を攻撃、濱口首相狙撃事件の遠因となった。

統帥権干犯論は議会の軍に対するコントロールを弱めるものであった為、これを根拠として軍部が政府決定や方針を無視して暴走し始め、以後、政府はそれを止める手段を失うことになって行く。

鳩山は対立する立憲民政党政府を苦しめることを企図したようだが、議員としては政争に明け暮れて大局を見失っていたことになる。

戦後になりGHQから「軍部の台頭に協力した軍国主義者」として追及され、公職追放の一因となった。

鳩山は犬養内閣から齋藤内閣にかけて文部大臣を務めたが、1932年(昭和7年)に義兄の鈴木が犬養毅の後をうけて政友会総裁となると党内の実力者となった。

1943年(昭和18年)の第81帝国議会では東條内閣による戦時刑事特別法改正案に反対し翼賛政治会を脱会。その後は軽井沢で隠遁生活を送った。

◆ 首相としての事績

第二次世界大戦終結後、公職追放(1946年)となる。 また追放解除を目前に脳梗塞で倒れた(1951年)。

首相の座を目前にしての追放、病気と不運な状態が続いたことから世間の同情を集めることになった。貴族主義的でワンマンと呼ばれた吉田茂が不人気で政権を降りた後、首相になると(1954~1956年)、鳩山ブームを起こした。

首相在任中、盟友で寝業師と言われた三木武吉の尽力により日本民主党・自由党の保守合同を成し遂げ、自由民主党を結成。

原子力基本法を提出成立させ後の原子力発電時代の礎を築いた。

1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言により国交を回復した後に内閣総辞職、政界を引退した。

その後、友愛青年同志会を育成するほかは、療養生活を送り、1959年(昭和34年)3月に亡くなった。

◆ 鳩山 一郎 / 年 譜

◇ 1883年(明治16年) 東京市牛込区東五軒町に出生。
◇ 1895年(明治28年) 高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。
◇ 1900年(明治33年) 高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
◇ 1903年(明治36年) 旧制第一高等学校卒業。
◇ 1907年(明治40年) 東京帝国大学英法科卒、父の弁護士事務所に勤める。
◇ 1908年(明治41年) 愛国団体玄洋社出身の衆議院議員秘書課長寺田栄の長女寺田薫と結婚。
◇ 1911年(明治44年) 父・和夫が死去(衆議院議員兼東京市議、東京弁護士会会長)。
◇ 1912年(大正元年) 父の補欠選挙で東京市会議員に初当選。
◇ 1915年(大正4年) 立憲政友会公認で衆議院議員に当選。
◇ 1918年(大正7年) 長男・威一郎誕生。
◇ 1924年(大正13年) 政友会分裂に伴い、政友本党に参加。
◇ 1925年(大正14年) 政友本党を離党、翌年に同交会を経て政友会に復党。
◇ 1927年(昭和2年) 田中義一内閣の内閣書記官長(1929年まで)。
◇ 1931年(昭和6年) 犬養内閣の文部大臣。五・一五事件後、斎藤内閣で引き続き文部大臣(1934年まで)。
◇ 1933年(昭和8年) 文部大臣として滝川事件に関与。
◇ 1934年(昭和9年) 帝人事件で汚職の疑いをかけられ辞職(斎藤内閣も後に総辞職)。
◇ 1937年(昭和12年) 中島知久平・前田米蔵・島田俊雄とともに政友会総裁代行委員に就任する。
◇ 1939年(昭和14年) 政友会の分裂に伴い、正統派に所属する。
◇ 1942年(昭和17年) 翼賛選挙に非推薦で出馬、無所属で当選。
◇ 1943年(昭和18年) 東條内閣を批判し、軽井沢へ隠遁。
◇ 1945年(昭和20年) 終戦後軽井沢から上京、日本自由党結成(総裁)。
◇ 1946年(昭和21年) 総選挙で日本自由党が第一党になるが公職追放の措置を受ける。
◇ 1951年(昭和26年) 脳出血で倒れる、追放解除。
◇ 1954年(昭和29年) 日本民主党結成(総裁)、総理大臣になる。第1次鳩山一郎内閣発足。
◇ 1955年(昭和30年) 1月「天の声解散」、総選挙で民主党は比較第一党となるも少数与党にとどまる。3月、第2次鳩山一郎内閣発足。
◇ 1955年(昭和30年) 保守合同で自民党結成(55年体制を参照)。第3次鳩山一郎内閣発足。
◇ 1956年(昭和31年) モスクワで日ソ共同宣言(日ソ国交回復)、内閣総辞職
◇ 1959年(昭和34年) 逝去。墓所は東京都台東区の谷中霊園。大勲位菊花大綬章が没後受勲された。

特記事項

第93代内閣総理大臣 鳩山由紀夫(民主党)の祖父。

◆ 家族 / 親族

◇ 祖父 - 鳩山和夫 / 『明治人物評論』より祖父:博房(美作勝山藩士)
◇ 父 - 和夫(弁護士、代議士、衆議院議長)
◇ 母 - 春子(信州松本藩士・渡辺努(明治になって多賀に改姓)の長女、教育者、共立女子学園の創立者のひとり)
◇ 姉 - カヅ(政友会総裁・鈴木喜三郎に嫁ぐ)
◇ 弟 - 秀夫(民法学者、嫁は数学者・菊池大麓の次女・千代子。息子道夫はソニー常務取締役兼中央研究所所長。)。

◇ 妻 - 薫(教育者、共立女子大学学長)

◇ 長男 - 威一郎(大蔵官僚、参議院議員、外務大臣)
・ 嫁 - 安子(ブリヂストン創業者・石橋正二郎の長女)
・ 孫 由- 紀夫(第93代内閣総理大臣・2代、7代民主党代表)
・ 孫 - 邦夫(元法務大臣・総務大臣)

◇ 長女 - 百合子(元日本輸出入銀行総裁・古沢潤一に嫁ぐ)
・ 孫 - 洋子(古沢潤一・百合子夫妻の長女。増岡組3代目社長・増岡正剛に嫁ぐ)

◇ 次女 - 玲子(鳩山秀夫の長男・道夫に嫁ぐ)
◇ 三女 - 節子
◇ 四女 - 恵子(元石炭協会勤務・山中繁に嫁ぐ)
◇ 五女 - 信子(指揮者・渡邉暁雄に嫁ぐ)

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