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元副総理 渡辺美智雄 さん死去

1995年(平成7年)9月15日 死去 享年72歳

渡辺美智雄写真  渡辺美智雄訃報

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元副総理 渡辺美智雄 さん死去

衆議院議員で元副総理を務めた 渡辺 美智雄(わたなべ みちお)さんが 1995年(平成7年)9月15日、膵臓癌(すいぞう がん)のため死去した。72歳だった。

1963年(昭和38年)11月、第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し初当選を果たす。1976年(昭和51年)、福田赳夫内閣で厚生大臣として初入閣。その後、副総理、蔵相、外相などを歴任し「安竹宮渡河」として「ニューリーダー」の一角に数えられた。「ミッチー」の愛称で親しまれたが 1991年(平成3年)、膵臓癌(すいぞうがん)の手術を受け、この頃から病気がちとなり入退院を繰り返していた。

人物 / 略歴

渡辺 美智雄(わたなべ みちお、渡邉美智雄、1923年(大正12年)7月28日 ~ 1995年(平成7年)9月15日)

栃木県大田原市出身。衆議院議員。従二位勲一等旭日桐花大綬章。

副総理、蔵相、外相などを歴任。中曽根派を継承して派閥の領袖。税理士。

「ミッチー」の愛称で親しまれた。「毛針」発言、「アッケラカのカー」発言など、何かと物議を醸す発言を数多く行った。

長男はみんなの党代表渡辺喜美。

◆ 略 歴

旧制大田原中学校(現・栃木県立大田原高等学校)を卒業、陸軍士官学校を受験するが果たせず、1942年に東京商科大学(現・一橋大学)附属商学専門部(高等商業学校に相当する課程)に入学。翌年秋に繰り上げ卒業し、学徒出陣。

復員後、進駐軍相手の通訳、讀賣新聞記者、行商の会社設立や税理士事務所開設を経て、1955年2月に自由党公認で栃木県議会議員選挙に立候補し当選。

1960年、第29回衆議院議員総選挙に保守系無所属で立候補するが、次々点で落選。その後、河野一郎の下に身を寄せる。

1963年11月第30回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。

1965年に河野一郎が急死し、中曽根派に所属した。

第3次佐藤内閣で農林政務次官を経験するなど農林族議員として頭角を現し、「ベトコン議員」が多く参集する「米価問題懇談会」では斬り込み隊長となって、同期の中川一郎、湊徹郎と共に「(イッチャン、ミッチャン、テッチャンの)3チャン艦隊」と呼ばれた。

1976年、福田赳夫内閣で厚生大臣として初入閣。日本医師会の武見太郎会長との間で健康保険法改正・医療費値上げ・医師優遇課税をめぐり激しく争い、天皇とも呼ばれた武見に敢然として戦いを挑んだ。

第1次大平内閣で農林水産大臣として再入閣。衆議院総選挙敗北の責任をめぐり大平と福田の間にいわゆる「四十日抗争」が起きた際、大平総裁を引きずり下ろすのは大義名分が無いとして反大平を標榜していた中曽根派から離反する形で首班指名で大平に投票した。

中曽根派から離脱した渡辺は、派閥横断の政策集団「温知会」を結成し、党内、特に中曽根派の若手議員を取り込むと共に、全国で新人議員の発掘・育成を始める。

大平首相の急逝を受け、大平内閣を引き継いだ鈴木善幸内閣では大蔵大臣に就任し、財政再建に取り組んだ。

1983年の総選挙後、中曽根派に復帰。第2次中曽根内閣第2次改造内閣で通産大臣、1987年には自民党政調会長に就任。

中曽根後の派後継者と目された渡辺は「安竹宮渡河」として「ニューリーダー」の一角に数えられた。

リクルート事件に関与していた事が発覚、他の実力者とともに逼塞を余儀なくされ、竹下首相退陣後は、同じ中曽根派の幹部であり、日頃から反渡辺を公言していた宇野宗佑に首相の座を奪われる。

1990年の総選挙直後に中曽根派会長の桜内義雄から派閥禅譲を受け同派会長に就任し、同派を「渡辺派」とする。

1991年、宮沢内閣で副総理兼外務大臣に就任。しかし激務が重なった上、同年には膵臓癌の手術を受け、この頃から病気がちとなり入退院を繰り返すようになった。

翌年の宮沢改造内閣でも留任したが、1993年4月に辞任。同年7月の総選挙で野党に転落した自民党の総裁選に再度出馬するが、健康不安などもあって河野洋平に敗れた。

1995年の自民党総裁選では自身と同じ衆院選当選同期の橋本龍太郎を支持した。総理への道を諦めきれないまま、1995年9月15日、膵臓癌のため死去した。72歳だった。

渡辺の死後、秘書を務めていた長男・喜美が地盤を引き継いだ。

特記事項

「ミッチー節」といわれる栃木弁丸出しの歯に衣着せぬ話術でマスコミに積極的に登場しお茶の間の人気を得た。

病床で遺言を録音してカセットテープに残し、当時政界を離れていた石原慎太郎に託された。テープは日本テレビ系ニュース番組「きょうの出来事」において放送され、石原が解説を加えた。言葉にならない箇所もあったが、総理の座に手が届かず非常に心残りであった様子が窺える内容であった。

◆ 渡辺美智雄 / 著書

◇ 『新保守革命』(柿澤弘治・伊吹文明との共著) 文藝春秋/出版 ネスコ/発売 1994年4月 ISBN 4890368701
※ 自民党解党の覚悟を秘めた保守二党論などに言及した政策本だが、出版の翌年死去し、遺著となる。

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