追悼の森 =村山実さん死去=

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元プロ野球投手  村山 実 さん死去

1998年(平成10年)8月22日 死去 享年61歳

村山実写真  

元プロ野球投手 村山 実 さん死去

プロ野球阪神タイガースで投手として活躍し、後に監督としても活躍した 村山 実(むらやま みのる)さんが 1998年(平成10年)8月22日、直腸がんのため死去した。61歳だった。

闘志むき出しで全身を使ったダイナミックな投法でプロ野球ファンを魅了した。背番号「11」、ミスターガイガースと呼ばれ人気を集めた。1959年(昭和34年)6月25日の天覧試合で、巨人の長嶋茂雄に左翼ポール際へのサヨナラ本塁打を打たれたことでも知られ、以来、村山対長嶋のライバル関係ができあがった。1993年(平成5年)に野球殿堂入り。

人物 / 略歴

村山 実(むらやま みのる、1936年12月10日 ~ 1998年8月22日)

尼崎市出身。兵庫県神戸市北区生まれ、元プロ野球選手(投手)、監督、野球解説者。

闘志むき出しで全身を使った「ザトペック投法」で知られ、2代目「ミスタータイガース」と呼ばれる。

◆ 略 歴

住友工業高校(後の尼崎市立尼崎産業高等学校)から大学野球を目指し、立教大学のセレクションを受けるが、身長が低いことを理由に落とされる。

結局、関西大学商学部商学科に進学。後に阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブス、日本ハムファイターズ監督となる上田利治とバッテリーを組んだ。

関西六大学リーグで通算42試合に登板し20勝10敗、防御率0.91、222奪三振。2年生の時には全日本大学野球選手権大会に出場し、全試合完投で優勝に貢献する。この優勝は西日本の大学としては初の快挙であった。

1958年、阪神電鉄に入社し、出向の形で大阪タイガース(以下、阪神)に入団した。

◆ プロ時代

プロ初登板は1959年3月2日、阪神甲子園球場での巨人戦(オープン戦)。3万人の観衆を集め行われた。このとき村山は2回を投げ打者7人と対し、被安打1、無失点に抑えた。初代ミスタータイガース・藤村富美男の引退試合の日でもあった。

公式戦初登板は同年4月14日の国鉄スワローズ戦。初先発でもあった。ちなみに、国鉄の先発は金田正一。結果は村山が6回までノーヒットに抑える好投で、2安打完封のデビューであった。

この年18勝10敗、防御率1.19の活躍で、最優秀防御率のタイトルを獲得、新人ながら沢村賞も受賞した。

しかし、新人で沢村賞を受賞しながら新人王に選ばれなかった投手は現在も村山ひとりだけである。

1959年6月25日の天覧試合では小山正明をリリーフし、巨人の長嶋茂雄に左翼ポール際へのサヨナラ本塁打を打たれた。以来、村山vs長嶋のライバル関係ができあがった。

村山は1500奪三振(1966年6月8日)、2000奪三振(1969年8月1日)をいずれも長嶋から狙って奪っている。

引退後意気投合し、お互いに「チョーさん」、「ムラさん」と呼び合う仲になった。

1962年、1964年のリーグ優勝に貢献。1962年にはMVPを獲得した。しかし、5連敗(1962年第6戦~1964年第7戦)、シリーズ3敗(1964年)という不名誉なシリーズ記録(いずれもタイ記録あり)も持っている。

1967年頃より右腕の血行障害に悩まされ、エースの座を江夏豊に譲る。

1969年は兼任投手コーチ。1970年、選手兼任監督に就任。同年200勝達成。また、この年記録したシーズン防御率0.98は規定投球回数以上での戦後唯一の0点台記録である。

1972年シーズン限りで現役引退、監督退任(この年は4月21日から金田正泰ヘッドコーチに監督を委ねた)。背番号11は阪神の永久欠番となった。

◆ 引退後

1973年から1987年は日本テレビの野球解説者となる。1978年7月24日、金田正一により発足した日本プロ野球名球会へ入会。

1988年から1989年に再び阪神監督になり、自身の永久欠番の11をつける。

1989年オフに退任。

1990年からは朝日放送の野球解説者となる。1993年野球殿堂入り。

現役時代から実業家の資質に長けており、村山自身、芦屋市のマンションを購入して自分自身の会社の本社にしたというエピソードは有名である。

1998年(平成10年)8月22日、直腸ガンのため死去。61歳没。

特記事項

2004年8月に出身校の尼崎産業高校にピッチングフォームの銅像(モニュメント)が建てられた。1959年の後楽園球場で行われた天覧試合で巨人の長嶋茂雄選手相手に投げている瞬間がモチーフになっている。

しかし、2011年春に尼崎市立尼崎双星高等学校として新発足し、学校は移転した。移転後も銅像は敷地に残され、県は県立病院を学校の跡地に建設することを決定、処遇が問題となったが、2012年になって病院完成後に敷地内に銅像を設置することが決定した。

◆ 村山 実 / タイトル

◇ 最多勝:2回 (1965年、1966年)
◇ 最優秀防御率:3回 (1959年、1962年、1970年)
◇ 最多奪三振(当時連盟表彰なし):2回 (1965年、1966年) ※セントラル・リーグでは、1991年より表彰
◇ 最高勝率:1回 (1970年)

◆ 村山 実 / 表彰

◇ MVP:1回 (1962年)
◇ 沢村賞:3回 (1959年、1965年、1966年)
◇ ベストナイン:3回 (1962年、1965年、1966年)
◇ 野球殿堂入り (競技者表彰:1993年)

◆ 村山 実 / 著書

◇ 『背番号11への訣別』、 村山 実、 恒文社、 昭和48年発行

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