追悼の森 =渡辺はま子さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【ら~り~る~れ~ろ~わ】 著名人訃報一覧【ら~り~る~れ~ろ~わ】Etc-267
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

歌手 渡辺はま子 さん死去

1999年(平成11年)12月31日 死去 享年89歳

渡辺はま子写真  

歌手 渡辺はま子 さん死去

戦前から戦後にかけて活躍した国民的人気歌手の 渡辺 はま子(わたなべ はまこ)さんが 1999年(平成11年)12月31日、死去した。89歳だった。

1933年(昭和8年)12月、ビクターから「海鳴る空」でデビューした。「おはまさん」の愛称で親しまれ、代表曲に「忘れちゃいやヨ」や「愛国の花」「何日君再来」「蘇州夜曲」「雨のオランダ坂」「桑港のチャイナタウン」「ああモンテンルパの夜は更けて」など多数のヒット曲がある。引退後は認知症の進行及び脳梗塞に倒れたこともあり、家族以外の者との会話がほぼ困難になり、最晩年は寝たきりの生活であった。

人物 / 略歴

渡辺 はま子(わたなべ はまこ、1910年(明治43年)10月27日 ~ 1999年(平成11年)12月31日)

神奈川県横浜市出身。生涯横浜で過ごした。本名は加藤 浜子。歌手。

愛称は「おはまさん」。

◆ 略 歴

横浜生まれで横浜育ちの、文字通りハマっ子の渡辺は美貌で知られた歌手であった。祖父がアメリカ人のクォーターであった。

1933年(昭和8年)「武蔵野音楽学校」(後の武蔵野音楽大学)卒業。

卒業後は、横浜高等女学校(後の横浜学園高等学校)で音楽教師をしていた。音楽学校在学中に指導を受けた徳山璉の推薦もあり、同年12月にビクターから「海鳴る空」でデビューした。

1934年(昭和9年)、日比谷公会堂で開催されるビクター歌手総出演のアトラクション「島の娘」に主演のはずであった小林千代子が突然失踪する。急遽 渡辺が代役に抜擢され、漁師の娘を演じる。

1935年(昭和10年)の秋には教職を辞し、ビクターの流行歌手に専念することとなる。同年、夏川静枝の朗読によるハンセン病患者に取材した放送劇「小島の春」のラジオ主題歌「ひとり静」を歌い、初のヒット曲となる。

この曲をきっかけに、渡辺は終生を通じ、ハンセン病患者の病院の慰問を続けた。特に岡山愛生園では、療養所歌として今も愛唱されている。

◆ 「ネエ小唄」騒動

1936年(昭和11年)、「忘れちゃいやヨ」をレコーディング。作曲者の細田義勝に歌中の「ネエ」の部分の歌い方を何度も指導された。その直後に早稲田大学野球部の応援歌の発表会に招かれ歌ったところ、観客に大受けした。ヒットの兆しが見えた発売から3ヵ月後、政府の内務省から「あたかも娼婦の嬌態を眼前で見るが如き歌唱。エロを満喫させる」とステージでの上演禁止とレコードの発売を禁止する統制指令が下る。

ヒットを惜しんだビクターは、改訂版として「月が鏡であったなら」とタイトルを変更し歌詞の一部分を削除してレコードを発売、大人気を得る。

しかし、このヒットによりこの種の曲『ネエ小唄』ブームが起こり、「ああそれなのに」「ふんなのないわ」「憎いわね」などの類似曲を続々と生み出す結果となった。

◆ コロムビア移籍

1937年(昭和12年)4月、コロムビアに移籍。国民歌謡の「愛国の花」が、渡辺にとっての移籍後のヒット曲第一号となる。

さらに、当時はテイチクの専属であった満州の大陸女優、李香蘭主演の大ヒット映画の主題歌をレコーディングした。「いとしあの星」「蘇州夜曲」といった曲は渡辺、李両者の持ち歌として大ヒットを記録している。

◆ 戦後

戦地への慰問として訪れていた大陸の天津で終戦を迎え、捕虜として1年間の収容所生活を余儀なくされる。

1947年(昭和22年)に結婚し、歌手活動の傍ら横浜で花屋を営みながら、「雨のオランダ坂」「東京の夜」といったヒット曲を飛ばし続けた。

1950年(昭和25年)、古巣のビクターに移籍し、「火の鳥」「桑港のチャイナタウン」など後に代表曲となるヒット曲を出す。

1952年(昭和27年)、日本政府の復員局と渡辺の奔走でモンテンルパの収容所へ慰問コンサートが実現。フィリピン政府当局に減刑、釈放を嘆願し、日本人戦犯の釈放を決断させ、全員の日本への帰国が実現した。これは、渡辺はま子の歌手人生におけるハイライトといえる。

昭和40年代には、東海林太郎らとともに歌手協会の発展に尽力し、1973年(昭和48年)には紫綬褒章を受章。

◆ 晩年

1981年(昭和56年)、勲四等宝冠章を受章。

テレビやラジオになお活躍を続けたが、1985年(昭和60年)におしどり夫婦として知られた夫が亡くなったショックもあり、この頃から認知症を発症。1989年(平成元年)に引退した。

引退後は認知症の進行及び脳梗塞に倒れたこともあり、家族以外の者との会話がほぼ困難になり、最晩年は寝たきりの生活であった。

1999年(平成11年)12月31日 死去。 享年89歳。

特記事項

特別出演も含めてNHK紅白歌合戦に計9回出場している。

◆ 渡辺はま子 / 代表曲

◇ 「ひとり静」(1934年(昭和9年)2月発売)
◇ 「忘れちゃいやヨ」(1936年(昭和11年)3月発売)
◇ 「とんがらかっちゃ駄目よ」(1936年9月発売)
◇ 「愛国の花」(1938年(昭和13年)12月発売)
◇ 「シナの夜」(1938年12月発売)
◇ 「広東ブルース」(1939年(昭和14年)1月発売)
◇ 「何日君再来」 (1939年8月発売)
◇ 「長崎のお蝶さん」(1939年9月発売)
◇ 「いとしあの星」(1940年(昭和15年)1月発売)
◇ 「りぼんむすめ」(1940年6月発売)
◇ 「蘇州夜曲」(1940年8月発売、共唱:霧島昇)
◇ 「サヨンの鐘」(1941年(昭和16年)11月発売)
◇ 「西貢だより」(1942年(昭和17年)7月発売、共唱:藤山一郎)
◇ 「風は海から」「翡翠の歌」(1943年(昭和18年)1月発売、東宝映画『阿片戦争』挿入歌)
◇ 「花白蘭」(1943年2月発売)
◇ 「夏子の歌」(1943年10月発売、共唱:楠木繁夫)
◇ 「夢見る扇」(1946年(昭和21年)9月発売)
◇ 「ほんのり花嫁」(1946年10月発売)
◇ 「雨のオランダ坂」(1947年(昭和22年)1月発売)
◇ 「東京の夜」 (1947年5月発売、共唱:藤山一郎)
◇ 「旅空夜空」(1948年(昭和23年)4月発売)
◇ 「アデュー上海」(1948年11月発売)
◇ 「波止場通りの唄」(1949年(昭和24年)5月発売)
◇ 「おらんだ船」(1949年9月発売)
◇ 「いつの日君帰る」(1950年(昭和25年)2月発売)
◇ 「ヨコハマ物語」(1950年6月発売)
◇ 「火の鳥」(1950年10月発売、共唱:宇都美清)
◇ 「桑港のチャイナ街」(サンフランシスコのチャイナタウン) (1950年11月発売)
◇ 「チャンウェイ・チャンウェイ」 (1951年(昭和26年)3月発売)
◇ 「夢の彼の君」(1951年3月発売)
◇ 「七つの星座」(1951年6月発売、共唱:宇都美清)
◇ 「峠を越えて帰ろうよ」(1951年7月発売)
◇ 「マンボ・チャイナ」 (1951年12月発売)
◇ 「マンボ上海」(1952年(昭和27年)5月発売)
◇ 「雨の長崎」(1952年6月発売)
◇ 「ああモンテンルパの夜は更けて」(1952年9月発売、共唱:宇都美清)
◇ 「悲しみの丘」(1952年9月発売)
◇ 「マニラの夜」(1953年(昭和28年)5月発売)
◇ 「あゝモンテンルパの丘に泣く」(1953年5月発売)
◇ 「青い星のブルース」(1954年(昭和29年)11月発売)
◇ 「懐かしのブエノスアイレス」(1954年3月発売)
◇ 「波止場のチャイナ娘」(1955年(昭和30年)6月発売)
◇ 「カサブランカの夜」(1958年(昭和33年)12月発売)
◇ 「日本の母の詩」(1979年(昭和54年)発売)

◆ 渡辺はま子 / 受賞歴

◇ 紫綬褒章 - 1973年(昭和48年)
◇ 勲四等宝冠章 - 1981年(昭和56年)
◇ 日本レコード大賞特別賞 - 1973年(昭和48年)、1982年(昭和57年)

◆ A Related Words :
渡辺はま子 あゝモンテンルパの夜は更けて/蘇州夜曲 渡辺はま子/youtube渡辺はま子/渡辺はま子の雨のオランダ坂/sanfranciscoのチャイナタウン渡辺はま子/渡辺はま子火の鳥/歌手 渡辺はま子/渡辺はま子の歌/渡辺はま子 長崎/渡辺はま子 画像/渡辺はま子 画像/何日君再来 渡辺はま子/渡辺はま子 「何日君再来」/歌手 渡辺はま子/渡辺はま子 プロフィール/渡辺はま子 略歴/渡辺はま子 死去/渡辺はま子 訃報

Page Top

スマートフォン / PC サイト