追悼の森 =田中絹代さん死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【た~ち~つ~て~と】 著名人訃報一覧【た~ち~つ~て~と】Etc-272
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

女優 田中 絹代 さん死去

1977年(昭和52年)3月21日 死去 享年67歳

田中絹代写真 

女優 田中絹代 さん死去

日本映画史を代表する大女優の一人 田中 絹代(たなか きぬよ)さんが 1977年(昭和52年)3月21日、肺がんの転移による脳腫瘍のため死去した。67歳だった。

1924年(大正13年)、14歳で野村芳亭監督の「元禄女」で銀幕デビュー。17歳で主演女優に抜擢された。生涯に約250本の映画に出演し国民的女優として人気を誇った。1938年(昭和13年)に上原謙とのコンビで公開された「愛染かつら」は空前の大ヒットとなり シリーズ化された。前年末の12月27日、NHKのドラマ「雲のじゅうたん」のナレーション後、「わたくし疲れましたので、しばらく静養することにいたしますわ」と担当者に告げて、東京都中目黒の楢林クリニックに入院していたという。

人物 / 略歴

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 ~ 1977年(昭和52年)3月21日)

山口県下関市丸山町に生まれる。女優、映画監督。

◆ 略 歴

山口県下関市丸山町に父 田中久米吉、母 ヤスの四男四女の末娘として生まれる。

呉服商などを営む傍ら20軒ほども貸し家を持つ裕福な家であったが、絹代が3歳になって間もない1912年1月、父 久米吉が病死。

その後、母は藤表(とうおもて)製造業を営んでいたが、使用人に有り金を持ち逃げされるなどの災難に遭い、一家の生活は徐々に暗転していった。

1916年、下関市立王江尋常小学校に入学するが、経済的困窮のため充分な通学ができない状況だったという。

1917年、一家の生活はついに行き詰まり、母ヤスの実兄を頼って大阪天王寺に移る。1918年4月、天王寺尋常小学校の三年に編入する。

戦前、戦中 / アイドルスターとしての成功

幼少時より、琵琶を習い、1919年に大阪楽天地の琵琶少女歌劇の舞台に立つ。

1924年に松竹下加茂撮影所に入所し、野村芳亭監督の『元禄女』でデビューする。まもなく、当時新進監督だった清水宏に『村の牧場』の主役に抜擢された。

松竹蒲田撮影所に移った後の1927年、五所平之助監督の『恥しい夢』に出演。その後、牛原虚彦監督の演出と当時の人気スター鈴木傳明との作品でヒットを重ね、松竹のドル箱スターとなり、会社の幹部に昇進する。

上原謙とのコンビで1938年に公開された『愛染かつら』は空前の大ヒットとなり、シリーズ化された。

戦後 / 演技派スター ・ 女性監督へ

第二次世界大戦終結後も、溝口監督の『女優須磨子の恋』や小津安二郎監督の『風の中の牝鶏』などに出演し、高い評価を得、1947年、1948年と連続して毎日映画コンクール女優演技賞を連続受賞する。

順調に見えた女優生活だったが、1950年、日米親善芸術使節として滞在していたアメリカから帰国した際、サングラスに派手な服装で投げキッスをしたり「ハロー」と言ったことなどから、「アメション女優」(アメリカで小便をしてきただけで (短い滞在期間の意味) 、安易にアメリカ文化に感化された)などと形容された。

戦前に数々の国威発揚映画に出演し、「軍国の母」、「銃後を守る気丈な日本女性」のイメージを確立していた国民的女優の突然の変身に、敗戦に打ちひしがれ貧困の状態にあった国民は戸惑い、同時に憤りをかきたてることになった。

それ以降、自殺を考えるほどのスランプに陥いる。トップスターの地位を失った。ファンレターが1通も来なくなったと漏らしていたという。この時期に松竹を退社する。

1952年に溝口監督が田中絹代のために温めてきた企画である『西鶴一代女』に主演する。この作品はヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞し、女優として完全復活を果たす。翌1953年には同じコンビで『雨月物語』を製作、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞する。

その後も、木下惠介監督の『楢山節考』、小津監督の『彼岸花』への出演、京マチ子主演の『流転の王妃』の演出など、常に映画界をリードする活躍を続ける。1953年 その一方で、テレビドラマにも活躍の場を広げ、『前略おふくろ様』の主人公の母親役やNHK朝の連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のナレーションなどで親しまれた。

1970年、紫綬褒章受章。

1974年に主演した、熊井啓監督の映画『サンダカン八番娼館 望郷』の円熟した演技は世界的に高く評価され、ベルリン国際映画祭銀熊賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。

1977年(昭和52年)3月21日、肺癌が転移した脳腫瘍のため67歳で死去。

特記事項

没後、勲三等瑞宝章が授与された。

遺作はテレビドラマ『前略おふくろ様』。

1985年には、又従弟の小林正樹監督により、毎日映画コンクールに「田中絹代賞」が創設され、映画界の発展に貢献した女優に贈られることとなった。第1回受賞者は吉永小百合。

2010年2月13日、生誕の地で7歳まで過ごした下関市に「下関市立近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館」がオープン。

◆ 田中絹代 / 主な出演映画

◇ 元禄女(1924年、野村方亭監督・吉野二郎助監督)
◇ 村の牧場(1924年、清水宏監督)
◇ 恥しい夢(1927年、五所平之助監督)
◇ 真珠夫人(1927年、池田義信監督)
◇ 新女性鑑(1929年、五所平之助監督)
◇ 大学は出たけれど(1929年、小津安二郎)
◇ マダムと女房(1931年、五所平之助監督)
◇ 伊豆の踊子(1933年、五所平之助監督)
◇ 悲しみは女だけに(1935年、新藤兼人監督)
◇ 愛染かつら前後篇(1938年、野村浩将監督)
◇ 暁に祈る(1940年、佐々木康監督)
◇ 簪(1941年、清水宏)
◇ 陸軍(1944年、木下惠介監督)
◇ 結婚(1947年、木下惠介監督)
◇ 女優須磨子の恋(1947年、溝口健二監督)
◇ 不死鳥(1947年、木下惠介監督)
◇ 夜の女たち(1948年、溝口健二監督)
◇ 風の中の牝?(1948年、小津安二郎監督)
◇ 宗方姉妹(1950年、小津安二郎監督)
◇ 銀座化粧(1951年、成瀬巳喜男監督)
◇ 武蔵野夫人(1951年、溝口健二監督)
◇ 西鶴一代女(ヴェネツィア国際映画祭国際賞受賞作品。1952年、溝口健二監督)
◇ おかあさん(1952年、成瀬巳喜男監督)
◇ 安宅家の人々(1952年、久松静児監督)
◇ 雨月物語(ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞、イタリア批評家賞受賞作品。1953年、溝口健二監督)
◇ 煙突の見える場所(ベルリン国際映画祭国際平和賞受賞作品。1953年、五所平之助監督)
◇ 山椒大夫(ヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞受賞作品。1954年、溝口健二監督)
◇ 噂の女(1954年、溝口健二監督)
◇ 流れる(1956年、成瀬巳喜男監督)
◇ 黄色いからす(第15回米国ゴールデングローブ賞 外国語映画賞受賞作品。1957年、川頭義郎監督)
◇ 異母兄弟(1957年、家城巳代治監督)
◇ 楢山節考(1958年、木下惠介監督)
◇ 彼岸花 EQUINOX FLOWER(1958年、小津安二郎監督)
◇ この天の虹(1958年、木下惠介監督)
◇ 浪花の恋の物語(1958年、内田吐夢監督)
◇ おとうと(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会表彰受賞作品。1960年、市川崑監督)
◇ 放浪記(1962年、成瀬巳喜男監督)
◇ 太平洋ひとりぼっち(1963年、市川崑監督)
◇ 香華(1964年、木下惠介監督)
◇ 赤ひげ(ヴェネツィア国際映画祭男優賞(三船敏郎)、サン・ジョルジョ賞、ヴェネツィア市賞、国際カトリック映画事務局賞。1965年、黒澤明監督)
◇ 男はつらいよ 寅次郎夢枕(1972年、山田洋次監督)
◇ 三婆(1974年、中村登監督)
◇ サンダカン八番娼館 望郷(ベルリン国際映画祭銀熊賞(女優賞)受賞作品。1974年、熊井啓監督)
◇ 北の岬(1976年、熊井啓監督)
◇ 大地の子守歌(1976年、増村保造監督)

◆ 田中絹代 / テレビドラマ

◇ 木下恵介劇場 / 二人の星(1966年、TBS)
◇ 桃太郎侍(1967年、日本テレビ)
◇ 大河ドラマ / 樅ノ木は残った(1970年、NHK)
◇ 明日のしあわせ(1970年、NET)
◇ 女人平家(1971年、朝日放送)
◇ たった一人の反乱(1973年、NHK)
◇ 東芝日曜劇場 / りんりんと(1974年、北海道放送)
◇ じゃあね(1974年、NHK)
◇ 前略おふくろ様(1975年、日本テレビ) - 主人公の母親役
◇ 東芝日曜劇場 / 幻の町(1976年、北海道放送)
◇ 連続テレビ小説 / 雲のじゅうたん(1976年、NHK) - ナレーション
◇ 東芝日曜劇場 / 惜春の歌(1976年、中部日本放送)

◆ 田中絹代 / 監督映画作品

◇ 恋文(1953年)
◇ 月は上りぬ(1955年)
◇ 乳房よ永遠なれ(1955年)
◇ 流転の王妃(1960年)
◇ 女ばかりの夜(1961年)
◇ お吟さま(1962年)

◆ A Related Words :
みのもんた 自宅 田中絹代/みのもんた 田中絹代/田中絹代 晩年/田中絹代若い頃/田中絹代の家/田中絹代 画像/田中絹代邸/三國連太郎 田中絹代/鎌倉 田中絹代/みのもんた 鎌倉 田中絹代/楢山節考 田中絹代/映画 田中絹代/田中絹代 プロフィール/田中絹代 略歴/田中絹代 死去/田中絹代 訃報

Page Top

スマートフォン / PC サイト