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芸者歌手 赤坂小梅 さん死去

1992年(平成4年)1月17日 死去 享年85歳

赤坂小梅写真  

芸者歌手 赤坂小梅 さん死去

戦前、戦後にかけ 市丸、小唄勝太郎、藤本二三吉と並び称され 人気芸者歌手として知られた 赤坂 小梅(あかさか こうめ)さんが 1992年(平成4年)1月17日午後7時24分、心不全のため千葉県鴨川市内の病院で死去した。85歳だった。

小倉の旭検番より芸妓名「梅若」で初座敷を踏み、美声と気風の良さで知られた。1933年(昭和8年)3月にコロムビアに専属入社し 古賀政男が作曲した「ほんとにそうなら」でデビューするやたちまちヒットし 人気の芸者歌手として注目を集めた。1981年(昭和56年)4月、「感謝引退記念公演」を最後に引退。その後は千葉県館山市布良の安房自然村に引越し、「小梅民謡教室」を開くなど悠々自適の生活を送っていた。

人物 / 略歴

赤坂小梅(あかさか こうめ、1906年4月20日 ~ 1992年1月17日)

福岡県田川郡川崎町出身。本名は向山コウメ。日本の芸者歌手。

◆ 略 歴

九人兄姉の末娘に生まれた。生後10日目に母を失い、長姉によって育てられる。

幼少時から芸事が大好きで花街の歌声や三味線の音色を聞きながら育ったという。

1920年16歳のときに自分の意思で芸者になった。この時代自分から芸者になることは大変珍しく、周囲の人間は猛反対したが、どうしても芸者になりたかったという。

小倉の旭検番より芸妓名「梅若」で初座敷、美声と気風の良さで知られた。明け方に座敷がはねた後、朝、船に乗って朝鮮に遊びに行ったなどという逸話も残っている。

1929年福岡を訪れた中山晋平、野口雨情ら音楽関係者らが料亭で彼女の歌を聞き、その美声に驚嘆した。

梅若の才能を認めた作曲家藤井清水の紹介でビクターに「小倉節」など新民謡を、小倉旭券梅若の名義で数曲吹き込む。

1931年上京。後援者清水行之助の紹介で赤坂若林から赤坂小梅と改名、お披露目をして鶯芸者としてならした。

1933年3月にコロムビアに専属入社。5月に古賀政男が作曲した「ほんとにそうなら」でデビューするやたちまちヒットした。

翌1934年にも江口夜詩作曲の「そんなお方があったなら」がヒットし歌手としての不動の地位を築いた。

1936年長唄三味線の演奏家杵屋勝松と結婚、長男を出産したが、夫とは1938年に死別している。

1942年には出身地福岡県の民謡「黒田節」を初めてレコード化した。「小梅の黒田節か、黒田節の小梅か」とまで呼ばれ彼女の生涯の代表曲となった。

声量が大変豊かで音域も広く、特に太い低音が大変美しく豪快な歌いっぷりは繊細な小唄勝太郎とは対照的だった。

1933年頃、勝太郎と市丸は大変な人気で「市勝時代」などと言われたものだが、小梅も大変人気を呼び、先の二人と合わせて「鶯芸者の三羽烏」などと言われた。

戦後には流行歌の吹き込みは少なくなったが、相変わらず民謡を次々に吹き込み、人気は衰えるどころか民謡愛好家の間でもその名声は高まるばかりであった。

岸信介、佐藤栄作などの著名人のお座敷も多数つとめ、NHK紅白歌合戦にも初期に4回出場した。

昭和40年代におこったナツメロブームによって東京12チャンネルの「なつかしの歌声」などにもたびたび出演してその美しい喉を披露した。また、コロムビアでも「黒田節」「おてもやん」など往年吹き込んだ民謡をステレオ録音で吹き込み直すなど、民謡、舞踊小唄、端唄などを本格的に研鑽、レコーディングした。

彼女の最大の功績は民謡をラジオ、テレビなどのメディアに紹介し、大衆音楽の中に「民謡」というジャンルを確立したことである。

その功績が認められ、1973年文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。1974年には紫綬褒章。1980年には勲四等宝冠章を受章した。

1981年4月21日に東京三宅坂の国立小劇場で開催された「感謝引退記念公演」を最後に芸能生活六十年、歌手生活五十年という長い経歴に幕を下ろした。

引退後は千葉県館山市布良の安房自然村に引越し、「小梅民謡教室」を開くなど悠々自適の生活を送った。

1992年1月17日午後7時24分、心不全のため千葉県鴨川市の病院で亡くなった。享年85歳。

特記事項

日本酒を一晩に三升呑んでも大丈夫というほどの酒豪でマージャンは大好きだが弱く、他人の悪口は決して言わず、おおらかで太っ腹な性格だった。

小梅の民謡は現地に赴き土地の古老、研究者に手とり足とり口移しで教わったものを基調にしているが、それを小梅流にアレンジして歌い直した。その分地元のものとは節回しや方言の使用などで少し差が生じることになり、そのことで批判の声があがる場合もあった。特に「おてもやん」で地元から非難された。

◆ 赤坂小梅 / 代表曲

◇ 「ほんとにそうなら」1933年
◇ 「沈丁花」1933年
◇ 「月は宵から」1933年
◇ 「そんなお方があったなら」1934年
◇ 「おてもやん」1935年
◇ 「松花江千里」1936年
◇ 「浅間の煙」1937年
◇ 「黒田節」1942年ほか
◇ 「炭坑節」1950年ほか
◇ 「そろばん踊り」1956年
◇ 「博多節」
◇ 「稗搗節」
◇ 「こつこつ節」
◇ 「しばてん音頭」
◇ 「よへほ」

◆ 赤坂小梅 / NHK紅白歌合戦出場歴

◇ 第1回 (1951年1月3日、NHK東京放送会館第1スタジオ) 『三池炭坑節』
◇ 第4回 (1953年12月31日、日本劇場(日劇)) 『おてもやん』
◇ 第6回 (1955年12月31日、産経ホール) 『おてもやん』
◇ 第7回 (1956年12月31日、東京宝塚劇場) 『三池炭坑節』

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