追悼の森 =片山哲元首相死去=

I was thunderstruck at the news of his death

Top Page    有名人訃報一覧【か~き~く~け~こ】 著名人訃報一覧【か~き~く~け~こ】Etc-28  訃報一覧 【戦後の歴代総理大臣 一覧】
nagomi画像
Smart Phone
スマートフォンサイト訃報

第46代 内閣総理大臣  片山 哲 さん死去

1978年(昭和53年)5月30日 死去 享年90歳

片山哲写真  

第46代 内閣総理大臣  片山 哲 さん死去

第46代 内閣総理大臣を務めた 片山 哲(かたやま てつ)元首相が1978年(昭和53年)5月30日、 死去した。90歳だった。

1930年(昭和5年)に神奈川 2区から衆議院議員に初当選した。以後、当選12回を数えた。1947年(昭和22年)第23回衆議院議員総選挙で日本社会党が第一党となり 民主党、国民協同党と連立内閣を組織。第46代内閣総理大臣に就任した。しかし、保守との連立政権のため閣内の意見がまとまらず短期間での辞任となった。

人物 / 略歴

片山 哲(かたやま てつ、1887年(明治20年)7月28日 ~ 1978年(昭和53年)5月30日)

和歌山県田辺市に生まれる。弁護士、政治家。位階は従二位。勲等は勲一等。

社会民衆党書記長(初代)、衆議院議員(12期)、社会大衆党執行委員、日本社会党書記長(初代)、日本社会党委員長(初代)、内閣総理大臣(第46代)、民主社会党常任顧問などを歴任した。

◆ 略 歴

和歌山県田辺市に生まれる。

和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺高等学校)、第三高等学校(現京都大学)を経て、東京帝国大学法学部独法科卒業。

卒業後YMCA寄宿舎の一室を借りて「簡易法律相談所」を開設、弁護士として活躍。

社会民衆党の結成に参加し、書記長に就任した。

1930年(昭和5年)に神奈川2区から衆議院議員に初当選。以後、当選12回を数えた。

しかし、第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)で1度、首相経験者として1949年(昭和24年)の衆院選・1963年(昭和38年)の衆院選で落選を2度も経験している。

◆ 総理大臣に就任

1945年(昭和20年)に日本社会党が結成されると書記長に就任。翌年には日本社会党委員長に選出された。

1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党が143議席を獲得し第一党となる。

首班指名選挙では戦前から続く憲政の常道によって衆議院では420議員が片山に投票し、片山が内閣総理大臣となる。民主党・国民協同党と連立内閣を組織。

しかし、保守との連立政権のため閣内の意見がまとまらず、親任式当日までに閣僚が決まらずに片山が全閣僚を兼任して親任式に臨み、一人内閣でしのいだ。閣僚が決まった後も鈴木茂三郎ら党内左派の突き上げが続き、また終始GHQの言いなりであったため「グズ哲」とあだ名された。

◆ 総理大臣としての実績

政権としては、国家公務員法の制定、内務省の解体、警察制度の改革、労働省の設置、失業保険の創設、封建的家族制度の廃止を目標とした改正民法の制定、刑法改正などを実現した。

その一方で、社会主義理論を鵜呑みにして国有化・国家管理政策にこだわり、公社公団を乱発し、いい加減な財源調達による公的融資を拡大したと評された。これが与党内の首相からの離反を招き、短期間で首相を辞任せざるを得なかった。

さらに、総辞職後の1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で大敗を喫し、委員長だった片山も落選。1950年(昭和25年)、日本社会党は分裂に至り、委員長を退いた。

◆ その後 / 晩年

1952年(昭和27年)、第25回衆議院議員総選挙に右派社会党から立候補し当選。国会復帰を果たす。

その後、1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に民社党公認で立候補するも落選し、政界を引退した。

1978年(昭和53年)5月30日、 死去した。享年90歳。

特記事項

1969年(昭和44年)10月1日、神奈川県藤沢市から第一号の名誉市民として顕彰される。

◆ 片山 哲 / 栄 典

◇ 1964年 - 勲一等旭日大綬章。
◇ 1978年 - 勲一等旭日桐花大綬章。
◇ 1978年 - 従二位。

◆ A Related Words :
片山哲 落選/片山哲 大和市/片山哲孝/片山哲 不動産/片山哲内閣/片山哲 プロフィール/片山哲 略歴/片山哲 死去

Page Top

スマートフォン / PC サイト