追悼の森 =灰田勝彦さん死去=

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歌手  灰田勝彦 さん死去

1982年(昭和57年)10月26日 死去 享年71歳

灰田勝彦写真  

歌手  灰田勝彦 さん死去

ハワイアンやヨーデル、流行歌など幅広い歌唱で一世を風靡した 灰田 勝彦(はいだ かつひこ)さんが 1982年(昭和57年)10月26日、肝臓がんのため東京都千代田区麹町の半蔵門病院で死去した。71歳だった。

米国 ハワイのホノルルに生まれる。1936年(昭和11年)、日本ビクターと専属契約を結び、「ハワイのセレナーデ」で歌手デビュー。レコードにおいては、「燦めく星座」の爆発的なヒットに続いて、「こりゃさの音頭」や「お玉杓子は蛙の子」「森の小径」とヒットを連打。日米開戦後は、「マニラの街角で」や「ジャワのマンゴ売り」「新雪」「鈴懸の径」と戦時中にもかかわらず、絶大な人気を誇った。

人物 / 略歴

灰田 勝彦(はいだ かつひこ、1911年(明治44年)8月20日 ~ 1982年(昭和57年)10月26日)

米国 ハワイのホノルルに生まれる。本名(幼名)は灰田稔勝(はいだ としかつ)のちの勝彦。日本の歌手、ウクレレ奏者。

ハワイアンやヨーデル、流行歌で第二次世界大戦前後に一世を風靡し、また、映画俳優としても華々しく活躍した。

兄は作曲家でスチールギター奏者の灰田晴彦(のちに有紀彦に改名)。

◆ 略 歴

明治政府の移民政策によって広島(現在の広島市南区)からハワイに移住した医師・灰田勝五郎の三男として、ハワイのホノルルで生まれた。

大正9年(1920年)、博愛家として現地の邦人に慕われた父が、医療活動による過労が原因で急逝した。

大正11年(1922年)、父の納骨のために母、二つ年上の兄・可勝(のちの晴彦)らと共に帰国し、父親の故郷である広島市内に父の墓を建立した。

しかし、大正12年(1923年)に関東大震災に見舞われて、家族でハワイに戻ることを決意する。荷物をまとめて、乗船の切符も全て用意した矢先に、震災の混乱で一切の所持品を盗難され、一家は日本滞在を余儀なくされた。

◆ 学生時代

灰田兄弟は、父親の遺志を継ぐべく、大正13年(1924年)に可勝が、そして、大正14年(1925年)に稔勝がそれぞれ獨協中学に進学して医師への道を志すが、在学中、稔勝はサッカーに熱中してしまう。その為、成績が芳しくなかったことから、医学部への進学はあきらめ、昭和5年(1930年)に立教大学予科に進学した。

大学在学中の昭和6年(1931年)に、可勝が主宰した日本初のハワイアン・バンド「モアナ・グリークラブ」に入り、ボーカルとして活躍した。

昭和8年(1933年)、この頃から可勝は晴彦を、稔勝は勝彦を名乗るようになった。

日本に初めてスチールギターの音色を伝えたこのバンドは、人気が徐々に上昇し、勝彦も各レコード会社でレコーディングするようになった。

◆ 歌手デビュー

昭和11年(1936年)に立教大学を卒業して、晴彦が所属する日本ビクターと正式に専属契約を結び、「ハワイのセレナーデ」でデビューした。

昭和12年(1937年)、ハワイ音楽にコミカルな詞をつけた「真赤な封筒」が初ヒットする。また、本業の歌手だけに止まらず、東宝系となるJOスタジオと俳優としても専属契約し、『たそがれの湖』でスクリーンにデビューした。

しかし、同年の暮、映画「人生競馬」の撮影中に召集令状を受け取り、中国戦線に赴くこととなる。慣れない生活と気苦労から、重症の黄疸を患い、現地の野戦病院で静養したのち、内地に送還されて、九州の小倉、東京の大蔵陸軍病院で療養した。

昭和14年(1939年)に応召を解除され、同年暮れから歌手に復帰した。

昭和15年(1940年)、当時の人気アイドルの高峰秀子と共演した南旺映画『秀子の応援団長』では、劇中で歌った挿入歌「燦めく星座」が主題歌「青春グランド」を抜いて40万枚の大ヒットとなり、それまで人気があったもののマイナーな存在だった勝彦が全国的な人気スターになるきっかけとなった。

続いて出演した東宝映画『燃ゆる大空』では、飛行兵を演じる。不時着して重傷を負いながら、「故郷の空」を歌うシーンは、若い女性の紅涙を絞り、映画俳優としての人気をも確立していった。

レコードにおいては、「燦めく星座」の爆発的なヒットに続いて、「こりゃさの音頭」「お玉杓子は蛙の子」「森の小径」とヒットを連打。

日米開戦後は、昭和17年「マニラの街角で」「ジャワのマンゴ売り」「新雪」「鈴懸の径」と戦時中にもかかわらず、絶大な人気を得ることとなる。

◆ 戦後の活躍

人気はさらに上昇し、リバイバルヒット「新雪」「燦めく星座」をはじめ、「紫のタンゴ」「東京の屋根の下」とレコードの大ヒットが続く。昭和21年、高峰と日劇で公演した『ハワイの花』は、連日超満員の観客動員を果たし、まさに絶頂期を迎えるのであった。

戦争のため、関係を引き裂かれていた地元ハワイのフローレンス君子と昭和23年に結婚。

スクリーンでは、東宝映画『歌え太陽』をスタートとして、『花くらべ狸御殿』『銀座カンカン娘』『ターキー銀座を歩く』など、主にミュージカル的な歌謡映画に数多く出演している。/p>

「立教出身者で固めよう」と自身が企画した映画『歌う野球小僧』は、上原謙、笠置シズ子らの共演により成功し、主題歌「野球小僧」は彼のテーマソングとなった。

◆ 晩年 / キャリア後年

昭和40年代のなつメロブームでは、欠かせない存在として活躍。昭和53年(1978年)1月15日放送の『ビッグショー』(NHK)はFMラジオでの再放送や番組のLP発売がされ、人気の健在振りを示した。

芸能生活45周年を迎えた頃、歌手淡谷のり子に招かれ、亡くなる半年前に淡谷の事務所に移籍。灰田が単なる懐メロ歌手ではなく現役のエンターテイナーとして健在であることを示すべく企画が進められるなどしていた。

昭和57年(1982年)5月21日、銀座の高級クラブで行われたショー出演中に体調不良を訴えはじめ、数日後入院。軽度の脳出血だったため約1ヶ月の入院・リハビリを経て退院したが、その直後末期の肝臓ガンであることが判り、従兄弟が院長を務めていた半蔵門病院に再入院。治療を続け、体調も回復していた。

しかし、10月26日、朝食後に容態が急変し、君子夫人と長女に見守られる中、この世を去った。71歳没。

特記事項

死去した朝、朝食をとった直後は、まだ容体は安定しており、大好きだった野球の放送時間を気にして「おい、一時になったら日本シリーズをつけてくれ」と言ったのが最後の言葉になった。

◆ 灰田勝彦 / 代表曲

◇ 浅草ブルース 1934年(昭和9年)
◇ ハワイのセレナーデ 1936年(昭和11年)
◇ ブルー・ムーン 1936年(昭和11年)
◇ 青い小径 1937年(昭和12年)
◇ 雨の酒場 1937年(昭和12年)
◇ 真赤な封筒 1937年(昭和12年)
◇ アロハ・オエ 1937年(昭和12年)
◇ あゝ東京は夜もすがら 1937年(昭和12年)
◇ 愛国行進曲 1937年(昭和12年)
◇ いとしの青馬よ 1938年(昭和13年)
◇ 北京夜曲 1939年(昭和14年)
◇ 燦めく星座 1940年(昭和15年)
◇ 峠の我が家 1940年(昭和15年)
◇ こりゃさの音頭 1940年(昭和15年)
◇ お玉杓子は蛙の子 1940年(昭和15年)
◇ 森の小径 1940年(昭和15年)
◇ ジャワのマンゴ売り 1942年(昭和17年)
◇ マニラの街角で 1942年(昭和17年)
◇ 新雪 1942年(昭和17年)
◇ 鈴懸の径 1942年(昭和17年)
◇ バタビアの夜は更けて 1943年(昭和18年)
◇ 美しき編隊 1943年(昭和18年)
◇ 加藤部隊歌(加藤隼戦闘隊) 1943年(昭和18年)
◇ ラバウル海軍航空隊 1943年(昭和18年)
◇ 紫のタンゴ 1947年(昭和22年)
◇ あの日あの時 1947年(昭和22年)
◇ 東京よさようなら 1947年(昭和22年)
◇ 東京の屋根の下 1949年(昭和24年)
◇ アルプスの牧場 1951年(昭和26年)
◇ 水色のスーツケース 1951年(昭和26年)
◇ 野球小僧 1951年(昭和26年)
◇ わが青春は夢に似て 1951年(昭和26年)
◇ 恋は銀座の柳から 1952年(昭和27年)
◇ ボクはアマチュア・カメラマン 1952年(昭和27年)
◇ 新橋駅でさようなら 1953年(昭和28年)

◆ 灰田勝彦 / NHK紅白歌合戦出場歴

◇ 第2回 (1952年1月3日 - NHK東京放送会館第1スタジオ) 「アルプスの牧場」
◇ 第3回 (1953年1月2日 - NHK東京放送会館第1スタジオ) 「野球小僧」
◇ 第4回 (1953年12月31日 - 日本劇場(日劇)) 「東京の屋根の下」
◇ 第7回 (1956年12月31日 - 東京宝塚劇場) 「白銀の山小舎で」
◇ 第8回 (1957年12月31日 - 東京宝塚劇場) 「野球小僧」
◇ 第10回 (1959年12月31日 - 東京宝塚劇場) 「僕は野球の選手」

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