追悼の森 =鶴田浩二さん死去=

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俳優、歌手  鶴田浩二 さん死去

1987年(昭和62年)6月16日 死去 享年62歳

鶴田浩二写真  

俳優、歌手  鶴田浩二 さん死去

昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演し、歌手としても多くのヒット曲を歌った俳優の 鶴田 浩二(つるた こうじ)さんが1987年(昭和62年)6月16日、肺がんのため死去した。62歳だった。

昭和を代表する映画スターとして数多くの映画やドラマに主演した。歌手としても多くのヒットを出し、独特の歌唱法でも有名だった。1985年(昭和60年)に癌(がん)が見つかり闘病生活を続けていたが、本人には本当の病名を伏せていたという。

人物 / 略歴

鶴田 浩二(つるた こうじ、1924年12月6日 ~ 1987年6月16日)

静岡県浜松市出身。 本名は小野榮一。俳優、歌手。

◆ 略 歴

戸籍上の出身地は、静岡県浜松市だが、実は兵庫県西宮市出身。

父と母は結婚しておらず、鶴田の父である大鳥氏の家が鶴田の母との入籍を許可しなかったためである。鶴田の母は、鶴田を連れて静岡県へと移り住み、別の男性と籍を入れた。

幼かった鶴田は目の不自由な祖母と狭い長屋で暮らしていた。祖母との二人暮らしは極貧そのもので、洗面器で米を炊いていたという。

その後、祖母が逝去し母会いたさに、遊郭へ一人で向かったが客商売の仕事中だった母は相手にしてくれなかった。その上、義父は博打好きであった。

14歳の時に、俳優に憧れ当時時代劇スターであった高田浩吉の劇団に入団。

19歳で関西大学専門部商科に入学するがその年に学徒出陣令により徴兵。終戦まで海軍航空隊に所属し、その体験が人生に多く影響を及ぼした。

22歳の時に薬の副作用で、左耳が難聴になってしまう。以後、鶴田は「左耳に左手を沿えて歌う」と言う独特の歌唱スタイルになった。

◆ トップスターへ

1948年、高田浩吉と大曾根辰夫監督の尽力で松竹入り。芸名の「鶴田浩二」は師匠の「高田浩吉」に由来する。

長谷川一夫主演の松竹『遊侠の群れ』で本格デビュー。

1949年、『フランチェスカの鐘』で初主演。佐田啓二、高橋貞二と共に松竹青春三羽烏と謳われヒットを連発。

1952年には戦後の俳優の独立プロ第1号となる新生プロを興した。ターキーこと水の江瀧子らが所属タレントとなった。

恋人と噂された岸惠子と共演した戦後初の海外ロケ映画『ハワイの夜』(新生プロ制作)も大ヒット。戦後最大のロマンスといわれた二人だが、岸が所属する松竹はそれを許さなかった。鶴田は自殺未遂事件を起こす。

同年、「男の夜曲」で歌手デビュー。歌手としてもヒットを飛ばし戦後の日本を代表する大スターとなっていく。

◆ 襲撃事件

1953年(昭和28年)1月6日午後7時頃、鶴田浩二襲撃事件が発生した。

鶴田は美空ひばりの芸能界の兄貴的存在であり、美空の後ろ盾である山口組三代目組長の田岡一雄とは旧知の間柄であったにもかかわらず起きた事件であった。後に田岡は鶴田と会う機会があったが、田岡は脅しや暴力に屈しない鶴田の筋を通す生き方を認め和解、親交を深める事になっていく。

1955年、マネージャーの兼松廉吉が青酸カリを飲み死亡。1956年1月15日、元山口組興行部の西本一三は関西汽船「ひかり丸」から海に落ち死亡。いずれも自殺とされているが、原因ははっきりしない。

映画界のトップスターを襲った鶴田浩二襲撃事件は大きく報道され、当時まだ一地方の組であった山口組が一気に全国的知名度を持つことになった。それと同時に山口組の機嫌を損ねるとひどい目に遭うという恐怖を日本の芸能界興行界に定着させることになった。

◆ 新境地

凄惨な事件の後も人気は衰えず、花道を通る間に真っ白い着物が女性ファンの口紅で真っ赤になるほど浩ちゃん人気は凄まじく、平凡・明星でも人気投票No.1を守り続け、昭和20年代最大のアイドルとして君臨した。

1963年、『人生劇場 飛車角』に主演し大ヒットさせる。ここから世に言う任侠映画ブームが始まる。

鶴田も任侠路線のトップスターとして高倉健とともに多くのやくざ映画に出演。本職も唸らすその男の情念は熱狂的な支持を得た。

「人生劇場シリーズ」、「博徒シリーズ」、『明治侠客伝 三代目襲名』、「関東シリーズ」、「博奕打ちシリーズ」、『人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊』、オールスターの「列伝シリーズ」の主演は特に有名。

1970年代に入っても歌「傷だらけの人生」がヒット。同名で映画化もされた。左手を耳に添えて歌う独特のスタイルは、よく知られているところである。

ただ鶴田の評判は、必ずしも良好なものばかりではなく、好き嫌いが激しく屈折したプライドから周囲との衝突や暴言も多かったとされる 。

◆ 晩年

1985年にガンが判明したが、本人には本当の病名を伏せていた。その後闘病生活が続いたものの、1987年6月16日に肺癌のため、62歳で死去。

特記事項

実娘の一人に女優の鶴田さやか。

俳優の北斗学(北十学)は若い頃の恋人との間に生まれた実子だが弟と称していた。

没後、少年期の多彩な女性関係や、母親の証言による衝撃的な出生のいわれ、財産分与等についてのスキャンダラスな報道がマスコミで報道され、家族は精神的な痛手を蒙った。

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