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婦人運動家、参議院議員  市川房枝 さん死去

1981年(昭和56年)2月11日 死去 享年87歳

市川房枝写真  

婦人運動家、参議院議員  市川房枝 さん死去

戦前、戦後にわたって日本の婦人参政権運動(婦人運動)を主導した 市川 房枝(いちかわ ふさえ)さんが1981年(昭和56年)2月11日、心筋梗塞のため議員在職のまま死去した。87歳だった。

1953年(昭和28年)参議院議員通常選挙に東京地方区から立候補し初当選した。 その後、1980年( 昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙では、87歳の高齢にもかかわらず全国区でトップ当選を果たした。参議院議員を通算5期25年を務めた。

人物 / 略歴

市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月15日 ~ 1981年〈昭和56年〉2月11日)

愛知県中島郡明地村(現:一宮市)に生まれる。婦人運動家、政治家(元参議院議員)。

◆ 略 歴

愛知県中島郡明地村に農家の3女として生まれた。

愛知県女子師範学校(現在の愛知教育大学の前身)在学中に、良妻賢母教育に反対して同級生と授業ボイコットを実施し、後の婦人運動家としての活動を予感させた。

卒業後は愛知県内の訓導として勤務したが病気のため退職。1917年(大正7年)名古屋新聞(現在の中日新聞)の記者となった。

1919年(大正8年)に平塚雷鳥らと日本初の婦人団体新婦人協会を設立。

1924年(大正13年)「婦人参政権獲得期成同盟会」を結成。男子普通選挙が成立した1925年(大正14年)には同盟会を「婦選獲得同盟」と改称し、政府・議会に婦人参政権を求める運動を続けた。

1924年(大正13年)には国際労働機関(ILO)の職員となり、女性の深夜労働などの実態調査を行った(1927年(昭和2年)辞職)。

1930年(昭和5年)に「第1回婦選大会」を開催。

1940年(昭和15年)に婦選獲得同盟を解消し「婦人時局研究会」へ統合。

1942年(昭和17年)に婦人団体が大日本婦人会へ統合。大政翼賛会を中心とした翼賛体制に組み込まれ、市川は大日本言論報国会理事に就任。

◆ 戦 後

1945年(昭和20年)11月3日には戦後初の婦人団体「新日本婦人同盟」を結成し会長に就任。

12月17日には衆議院議員選挙法改正で婦人参政権(男女普通選挙)が実現した。

1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙では39人の婦人(女性)議員が誕生した。

戦時中に大日本報国言論会理事であったため、1947年(昭和22年)から1950年(昭和25年)まで公職追放となる。

1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙に東京地方区から立候補し当選。4期目を目指した1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙で落選するも、1974年(昭和49年)の第10回参議院議員通常選挙で全国区から立候補、当選して通算5期25年務めた。

1963年(昭和38年)結成の「麻薬追放国土浄化同盟」では、右翼の大物と目されていた田中清玄や暴力団・山口組組長の田岡一雄などとも協力するなど、ある種の柔軟性も備えていた。

1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙では、87歳の高齢にもかかわらず全国区でトップ当選を果たした。

1981年(昭和56年)2月11日、心筋梗塞のため議員在職のまま死去した。享年87歳。

特記事項

死去の2日後、参議院本会議では市川への哀悼演説と永年在職議員表彰がともに行われた。

また、同年に出身地愛知県尾西市の名誉市民となった。

一方で1978年(昭和53年)春の叙勲にあたり、勲二等宝冠章授与を打診されたが、辞退している。

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