追悼の森 =司馬遼太郎さん死去=

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作家  司馬 遼太郎 さん死去

1996年(平成8年)2月12日 死去 享年72歳

司馬遼太郎写真  

作家  司馬遼太郎 さん死去

直木賞作家の司馬 遼太郎(しば りょうたろう)さんが1996年(平成8年)2月12日午後8時50分、 腹部大動脈瘤破裂のため大阪市中央区の国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)で死去した。72歳だった。

1960年(昭和35年)産経新聞社記者として在職中に「梟の城」で直木賞を受賞した。「街道をゆく」をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。2月10日深夜に吐血して倒れ 病院へ救急搬送されていた。

人物 / 略歴

司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 ~ 1996年(平成8年)2月12日)

大阪府大阪市浪速区西神田町(現:塩草)に生まれた。本名は福田 定一(ふくだ ていいち)。

筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。

日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。

産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。

代表作に『竜馬がゆく』『燃えよ剣』『国盗り物語』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。

『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。

◆ 略 歴

薬局を経営する父・福田是定(薬剤師)、母・直枝の次男として生まれた。兄がいたが2歳で早世し、姉、妹が一人ずついる。

1930年(昭和5年)、大阪市難波塩草尋常小学校(現・大阪市立塩草小学校)に入学。

1936年(昭和11年)、私立上宮中学校に進学。入学後の成績は300名中でビリに近く本人も驚いたらしいが、慌てて勉強をしたら二学期には上位20位に入ったという。

1940年(昭和15年)に旧制大阪高校、翌年には旧制弘前高校を受験するも不合格。

1942年(昭和17年)4月に旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在は大阪大学外国語学部)蒙古語学科に入学。

1943年(昭和18年)11月に、学徒出陣により大阪外国語学校を仮卒業(翌年9月に正式卒業となる)。兵庫県加東郡河合村(現:小野市)青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。

翌44年4月に、満州四平の四平陸軍戦車学校に入校し、12月に卒業。

卒業後、満州牡丹江に展開していた久留米戦車第一連隊第三中隊第五小隊に小隊長として配属される。翌45年に本土決戦のため、新潟県を経て栃木県佐野市に移り、ここで陸軍少尉として終戦を迎えた。

◆ 新聞記者時代

戦地からの復員後、生野区猪飼野東五丁目8にあった在日朝鮮人経営の新世界新聞社に大竹照彦とともに入社。1946年(昭和21年)、ふたたび大竹とともに新日本新聞京都本社に入社。

新聞社は2年後に倒産、産経新聞社から「外語大卒だから英語くらい出来るだろう」と誘われ、英語が全く出来ないにもかかわらず「出来ます」と応じて京都支局に入る。

1950年(昭和25年)最初の結婚。1952年(昭和27年)に長男が誕生するが、1954年(昭和29年)に離婚。

長男は実家の福田家に預けられ祖父母に養育される。この結婚及び、誕生した息子のことは、公的には一切公表されず、司馬にとって「隠したい過去」であったのではと、思われる。

1955年(昭和30年)、『名言随筆・サラリーマン』(六月社)を発表。

1956年(昭和31年)5月、「ペルシャの幻術師」が第8回講談倶楽部賞に応募、海音寺潮五郎の絶賛を受け同賞を受賞し、出世作となる。

1959年(昭和34年)1月、同じ産経新聞記者の松見みどりと再婚。

1960年(昭和35年)、『梟の城』で第42回直木賞を受賞し、翌年に産経新聞社を退職し、作家生活に入る。

◆ 小説家時代

1962年(昭和37年)より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年(昭和38年)より『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。

1964年(昭和39年)には、終の棲家となる布施市下小阪(現在の東大阪市)に転居した。

1966年(昭和41年)、菊池寛賞を受ける。その後も『国盗り物語』に続き、『新史太閤記』『関ヶ原』『城塞』の戦国四部作を上梓した。

1971年(昭和46年)から、紀行随筆『街道をゆく』を週刊朝日で連載開始した。1972年(昭和47年)には明治の群像を描いた『坂の上の雲』の産経新聞での連載が終了。

また、幕末を扱った『世に棲む日日』で吉川英治文学賞。

1970年代中期から80年代にかけ、明治初期の『翔ぶが如く』や、『胡蝶の夢』、江戸後期の『菜の花の沖』、戦国期の『箱根の坂』などを著し、清朝興隆の時代を題材にした『韃靼疾風録』を最後に小説執筆を止める。

「街道をゆく」や、月一回連載のエッセイ『風塵抄』、『この国のかたち』に絞り、日本とは、日本人とは何かを問うた文明批評を行った。

1981年(昭和56年)に日本芸術院会員、1991年(平成3年)には文化功労者となり、1993年(平成5年)に文化勲章を受章した。

このころから腰に痛みを覚えるようになる。坐骨神経痛と思われていたが、実際は直接の死因となる腹部大動脈瘤であった。

1996年(平成8年)2月10日深夜に、吐血して倒れ国立大阪病院(現:国立病院機構大阪医療センター)に入院、12日の午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去。72歳だった。

特記事項

没後。従三位を追賜された。

死去翌年の1997年に司馬遼太郎記念財団が発足し、司馬遼太郎賞が創設された。

2001年(平成13年)に、東大阪市の自宅隣に司馬遼太郎記念館が開館。

司馬遼太郎記念室がある姫路文学館では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬遼太郎メモリアル・デー」を開催している。

◆ 司馬遼太郎 受賞歴

◇ 1956年 - 「ペルシャの幻術師」で第8回講談倶楽部賞
◇ 1960年 - 『梟の城』で第42回直木賞
◇ 1966年 - 『国盗り物語』『竜馬がゆく』で第14回菊池寛賞
◇ 1967年 - 大阪芸術賞、『殉死』で毎日芸術賞
◇ 1968年 - 『歴史を紀行する』で第30回文藝春秋読者賞
◇ 1970年 - 『世に棲む日日』で第6回吉川英治文学賞
◇ 1976年 - 第32回日本芸術院賞恩賜賞文芸部門
◇ 1981年 - 『ひとびとの跫音』で第33回読売文学賞小説賞
◇ 1982年 - 朝日賞
◇ 1984年 - 『街道をゆく 南蛮のみち』で第16回日本文学大賞学芸部門
◇ 1985年 - NHK放送文化賞
◇ 1986年 - 『ロシアについて』で第38回読売文学賞随筆紀行賞
◇ 1988年 - 第14回明治村賞、『韃靼疾風録』で第15回大佛次郎賞
◇ 1991年 - 文化功労者選出
◇ 1993年 - 文化勲章受章
◇ 1996年 - 東大阪市名誉市民、第1回井原西鶴賞、従三位・銀杯一組を没時追賜

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