追悼の森 =左卜全さん死去=

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俳優  左 卜全 さん死去

1971年(昭和46年)5月26日 死去 享年77歳

左卜全写真  

俳優  左 卜全 さん死去

多くの作品にとぼけた味の老人役で出演した俳優の 左 卜全(ひだり ぼくぜん)さんが1971年(昭和46年)5月26日、癌(がん)のため死去した。77歳だった。

1970年(昭和45年)2月10日には、劇団ひまわりの子役で構成された「ひまわりキティーズ」をバックコーラスに添えた「老人と子供のポルカ」(早川博二作曲)を発売。これが40万枚を売り上げる大ヒットとなり 76歳当時「史上最高齢の新人歌手」として話題になった。

人物 / 略歴

左卜全(ひだり ぼくぜん、1894年2月20日 ~ 1971年5月26日)

埼玉県入間郡小手指村北野に生れる。本名は三ヶ島一郎(みかじま いちろう)。俳優。

異母姉は女流歌人の三ヶ島葭子。

◆ 略 歴

◇ 1894年(明治27年)2月20日 - 埼玉県入間郡小手指村北野に小学校校長の次男として生れる。
◇ 1901年(明治34年) - 6歳。北野小学校入学。
◇ 1902年(明治35年) - 7歳。父の転勤のため東京市麻布区の南山小学校に転校。
◇ 1905年(明治38年) - 11歳。船堀小学校卒業。京橋のばら歯磨本舗「東光園」へ小僧奉公に出る。
◇ 1907年(明治40年) - 13歳。船堀に戻り高等小学校3年に編入。
◇ 1909年(明治42年) - 15歳。高等科を卒業後、牛乳配達や新聞配達、土工など様々な仕事に就く。
◇ 1914年(大正3年) - 20歳。第3期生として帝劇歌劇部入りを目指すが、帝劇洋劇部解散により断念。小さな劇団を転々とする。
◇ 1920年(大正9年) - 26歳。関西に移り新声劇に入る。
◇ 1926年(昭和元年) - 32歳。「松旭斎天華一座」に入り、三ヶ島天晴(みかじま てんせい)の芸名で活躍。
◇ 1935年(昭和10年) - 41歳。東京へ戻り、松竹に引き抜かれて「移動演劇隊」に入る。

◆ 突発性脱疽を発症

この頃から左脚に激痛を伴う突発性脱疽を発症してしまう。医者からは脚の切断を勧められたが、あえて激痛を伴う脱疽と共に生きる決意をし、以後は生涯にわたり撮影時以外は移動に松葉杖を使うようになる。

◇ 1945年(昭和20年) - 51歳。敗戦後に水の江滝子の「劇団たんぽぽ」に加わる。
◇ 1946年(昭和21年) - 52歳にして当時37歳だった遠い親戚の女性、小暮糸と結婚。
◇ 1949年(昭和24年) - 55歳。同年今井正監督の『女の顔』で55歳で映画デビュー。
◇ 1952年(昭和27年) - 58歳。『生きる』に出演。
◇ 1954年(昭和29年) - 60歳。『七人の侍』に出演。これらを始め黒澤明作品に重用され、印象的な演技を見せる。
◇ 1957年(昭和32年) - 63歳。『どん底』にお遍路役で出演。自他共に認める代表作となった。
◇ 1970年(昭和45年) - 76歳。『老人と子供のポルカ』で歌手デビュー。
◇ 1971年(昭和46年) - 癌のため5月26日に逝去。77歳だった。

特記事項

山本嘉次郎監督の『脱獄』での飄々とした演技が目に留まり、黒澤明監督の『醜聞』に出演。ワンシーンながら印象的な演技を見せる。以後フリーとなって、多くの作品にとぼけた味の老人役で出演し、名バイプレーヤーの名をほしいままにした。

1970年(昭和45年)2月10日に、劇団ひまわりの子役で構成された「ひまわりキティーズ」をバックコーラスに添えた「老人と子供のポルカ」(早川博二作曲)を発売。これが40万枚を売り上げる大ヒットとなり、76歳当時「史上最高齢の新人歌手」として話題になった。

しかし、左は買取契約をしていたため20万円しか支払われなかった。

死の床の際、最期を看取った妻が「一郎さん」と呼びかけたのに「は~い」と小さな声で応えたのが最後の言葉だったと言う。

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