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芥川賞作家  安部公房 さん死去

1993年(平成5年)1月22日 死去 享年68歳

安部公房写真  

芥川賞作家  安部公房 さん死去

芥川賞作家の 安部 公房(あべ こうぼう)さんが1993年(平成5年)1月22日午前7時1分、急性心不全のため東京都多摩市の日本医科大学多摩永山病院で死去した。68歳だった。

昨年12月25日深夜、執筆中に脳内出血で倒れ入院していた。その後、自宅療養を続けていたが症状が悪化し、今年1月20日に再入院していた。1951年(昭和26年)に「壁 - S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞した。作品は海外でも高く評価され、晩年はノーベル文学賞の候補と目されていた。

人物 / 略歴

安部 公房(あべ こうぼう、1924年(大正13年)3月7日 ~ 1993年(平成5年)1月22日)

東京府北豊島郡滝野川町(現:東京都北区滝野川)生にまれる(本籍地は北海道旭川市)。少年期を満州で過ごす。小説家、劇作家、演出家。

高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。

作品は海外でも高く評価され、30ヶ国以上で翻訳出版されている。

◆ 略 歴

満州医科大学(現・中国医科大学)の医師である父・安部浅吉と、母・よりみの長男として生まれる。

1925年(大正14年)、家族と共に満州(現・中国東北部)に渡り、奉天市(現・瀋陽市)で幼少期を過ごす。

1940年(昭和15年)に満洲の旧制奉天第二中学校を4年で卒業。帰国して旧制成城高等学校(現・成城大学)理科乙類に入学。

1943年(昭和18年)9月、戦時下のため繰上げ卒業し、10月に東京帝国大学医学部医学科に入学。

1947年(昭和22年)3月、女子美術専門学校(現・女子美術大学)の学生で日本画を専攻していた山田真知子(後年、画家として安部の作品の装訂や舞台美術を手掛けることになる)と学生結婚する。

1948年(昭和23年)東大医学部を卒業するが、医師国家試験は受験しなかった。(卒業口答試験では人間の妊娠月数を二年です、と答えるなどひどいものだったが、結局医者にならないことを条件に卒業単位を与えられた。)

1951年(昭和26年)、『近代文学』2月号において、安部の短編「壁 - S・カルマ氏の犯罪」が発表された。1951年上半期の第25回芥川賞を受賞した。

1962年(昭和37年)に発表した『砂の女』を皮切りに、次々と実験精神あふれる意欲作を発表、この頃から全国的に著名な作家となる。

『砂の女』は、世界30カ国語に翻訳され、安部の名声は国際的なものになった。

安部の評価は特に共産主義圏の東欧で高く、西欧を中心に高評価を得ていた三島由紀夫と対照的とされた。

三島由紀夫は1967年の谷崎潤一郎賞の選考においては安部の『友達』を強力に推し、長編小説を授賞対象としていた同賞では、異例の戯曲の受賞を実現させている。

またアメリカでの評価も高く、『燃えつきた地図』はニューヨーク・タイムズの外国文学ベスト5にも選ばれている。

1973年(昭和48年)には自身が主宰する演劇集団「安部公房スタジオ」を発足させ、本格的に演劇活動をはじめる。

安部公房スタジオは、海外公演も積極的に行ない、その斬新な演劇手法が反響を呼び、各国の演劇界に影響を与えたが、自身の健康不良のため、1982年に活動を休止してしまう。

創作面でも、内向的な主人公がすえられ、閉鎖的な空間を舞台としたものへと変質している。また私生活の面でも、文壇づきあいをほとんどしなくなり、孤独なものへと変化していった。

1992年(平成4年)12月25日深夜執筆中に脳内出血で倒れ、退院後も自宅療養を続けるが、1993年(平成5年)1月20日、症状が悪化。

高熱と意識障害のため多摩市の日本医科大学多摩永山病院に再入院していた。

1993年(平成5年)1月22日、解熱し一時は回復したにも関わらず就寝中の午前7時1分、急性心不全のため、同病院で死去、68歳であった。

特記事項

主要作品は、小説に『壁 - S・カルマ氏の犯罪』(同名短編集の第一部。この短編で芥川賞を受賞)『砂の女』(読売文学賞受賞)
その他、『他人の顔』『燃えつきた地図』『箱男』『密会』など、戯曲に『友達』『榎本武揚』『棒になった男』『幽霊はここにいる』などがある。

劇団「安部公房スタジオ」を立ちあげて俳優の養成にとりくみ、自身の演出による舞台でも国際的な評価を受けた。

晩年はノーベル文学賞の候補と目された。

死後、未完に終わった『飛ぶ男』などの遺作が、ワープロのフロッピーディスクから発見されるという、当時としては珍しい遺作の発見のされ方が話題となった。

真知夫人は安部の後を追うように、1993年9月28日に死去。

一人娘で医者の真能ねりは、1997年(平成9年)から2009年(平成21年)にかけて刊行された「安部公房全集」(全30巻、新潮社)の編集にも尽力した。

◆ 安部公房 / 作品リスト

◇ 終りし道の標べに(真善美社、1948年 / 講談社文芸文庫、1995年) - 改訂版は新潮文庫(1978年)
◇ 壁(月曜書房、1951年 / のち角川文庫、新潮文庫)
◇ 闖入者(未來社、1952年)
◇ 飢えた皮膚(ユリイカ、1952年)
◇ 飢餓同盟(大日本雄弁会講談社、1954年 / のち新潮文庫)
◇ R62号の発明(山内書店、1956年 / のち「R62号の発明・鉛の卵」新潮文庫)
◇ けものたちは故郷をめざす(大日本雄弁会講談社、1957年 / のち新潮文庫)
◇ 第四間氷期(講談社、1959年 / のち新潮文庫)
◇ 石の眼(新潮社、1960年 / のち文庫)
◇ 砂の女(新潮社、1962年 / のち文庫)
◇ 他人の顔(講談社、1964年 / のち新潮文庫)
◇ 水中都市(新潮社、1964年 / のち「水中都市・デンドロカカリヤ」新潮文庫)
◇ 榎本武揚(中央公論社、1965年 / のち文庫)
◇ 終りし道の標べに(改稿版)(冬樹社、1965年 / のち新潮文庫)
◇ 燃えつきた地図(新潮社、1967年 / のち文庫)
◇ 人間そっくり(早川書房、1967年 / のちハヤカワ文庫、新潮文庫)
◇ 夢の逃亡(徳間書店、1968年 / のち新潮文庫)
◇ 箱男(新潮社、1973年 / のち文庫)
◇ 洪水(プレス・ビブリオマーヌ、1973年)
◇ 事業(プレス・ビブリオマーヌ、1974年)
◇ 笑う月(新潮社、1975年 / のち文庫)
◇ 密会(新潮社、1977年 / のち文庫)
◇ 方舟さくら丸(新潮社、1984年 / のち文庫)
◇ カーブの向う・ユープケッチャ(新潮文庫、1988年)
◇ カンガルー・ノート(新潮社、1991年 / のち文庫)
◇ 飛ぶ男(新潮社、1994年)

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