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喜劇俳優、劇作家  渋谷天外 さん死去

1983年(昭和58年)3月18日 死去 享年76歳

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喜劇俳優、劇作家  渋谷天外 さん死去

喜劇俳優で劇作家としても活躍した 渋谷 天外(しぶや てんがい)さんが1983年(昭和58年)3月18日、 死去した。76歳だった。

戦後の1948年(昭和23年)、「松竹新喜劇」を創立し、上方を代表する喜劇俳優、劇作家として活躍した。執筆した作品は556篇にのぼり、合作、脚色もあわせると1000篇を超える。代表作に「親バカ子バカ」や「桂春団治」などがある。

人物 / 略歴

渋谷天外(しぶやてんがい、1906年(明治39年)6月7日 ~ 1983年(昭和58年)3月18日)

京都市に生まれる。本名は渋谷一雄。ペンネームは館直志。喜劇俳優、劇作家。

松竹新喜劇を創立した上方を代表する喜劇俳優。女優の浪花千栄子は元妻。

◆ 略 歴

楽天会の主宰者の初代渋谷天外の長男として京都市で生まれる。8歳で同劇団で初舞台を踏む。父とは10歳で死別。

1922年(大正11年)「志賀廼家淡海一座」に加わる。

1923年(大正12年)から、曾我廼家十郎のすすめで劇作にも意欲的に取り組んだ。

1928年(昭和3年)、曾我廼家十吾、石川薫らと松竹家庭劇を結成し、角座で旗揚げ公演を行う。

翌1929年(昭和4年)、2代目渋谷天外を襲名し、全国的に活躍する。

戦後、1946年(昭和21年)松竹家庭劇を脱退し、劇団「すぃーとほーむ」を結成するが、1948年(昭和23年)、「五郎劇」、「松竹家庭劇」と合同して、「松竹新喜劇」を結成し、中座で初公演を行う。

楽屋では、原稿用紙、ノート類、演劇専門書が山の様に積まれるなど学究肌の面があった。

天外自身、自作自演について、自制力が必要と説き「自分で脚本書いて、演出して、しかも主役をやったら、どないなりますか?お山の大将、独裁者です。」として、その悪しき例にチャップリンの晩年の作「ニューヨークの王様」を挙げている。

1956年(昭和31年)に十吾は退団するが、自身の弟子的存在で、以後、人気俳優となる藤山寛美とのコンビで人気を呼ぶ。

その後、看板俳優兼作家として大活躍。執筆した作品は556篇にのぼり、合作、脚色もあわせると1000篇を超える。代表作に「親バカ子バカ」「桂春団治」などがある。

1957年(昭和32年)、「毎日演劇賞」、1964年(昭和39年)、「NHK放送文化賞」を受賞する。

1965年(昭和40年)、松竹新喜劇の人気が急上昇する中、公演中に倒れ、回復後は麻痺が残るも1967年(昭和42年)舞台に復帰する。

1983年(昭和58年)3月18日、 死去した。76歳没。

特記事項

1968年(昭和43年)に紫綬褒章を授章。1977年には 勲四等旭日小綬章を受章した。

1992年(平成4年)に息子の喜作(渋谷天笑)が3代目を襲名した。

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